ヘルゲランド監督『42 世界を変えた男』
史上初の黒人大リーガーの
伝記映画がいまに伝えてくるものは
231時限目◎映画
堀間ロクなな
「きみは怒りを抑えられるか? 白人だけのリーグに黒人が入ったときの反応は想像がつくだろう? 憎悪の的さ。ドジャースは移動先で一流ホテルに泊まるのだが、きみだけはクタクタなのにチェックイン手続きのペンを渡されない。『お前の部屋はない、石炭置き場もいっぱいだ』。みんなでレストランへ出かけても、きみだけは無視される。『入り口の表示を見ろよ、黒人はお断りだ』。さあ、そいつとケンカして、私の計画をぶっ潰すか? え、答えろ、クロのカス野郎!」
アメリカのプロ野球大リーグ、ブルックリン・ドジャースのオーナーであるブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)が、初対面のジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)に向かっていきなり言い放ったセリフだ。第二次世界大戦に勝利して沸き返る1945年秋のこと、大リーグも新たな未来へ再スタートを切るに当たって、リッキーは史上初の黒人選手の導入をめざして動きはじめたのだ。「そのとき、きみはやり返さない勇気を持てるか?」との問いに対して、白羽の矢を立てられたニグロ・リーグ所属のロビンソンは「もしぼくにユニフォームをくれるなら、背番号をくれるなら、勇気をもって立ち向かいます」と応じる。
ブライアン・ヘルゲランド監督の『42 世界を変えた男』(2013年)は、そのロビンソンが大リーガーとなって、世間一般の凄まじい反発が渦巻くなか、身内のチームメイトにも忌避され、相手チームからはビーンボールを投げつけられ、スパイクで蹴りつけられ、審判には不当な判定を下され、スタンドを埋め尽くした白人の観客からは罵詈雑言を浴びせられて、そんな日々にともすれば勇気が挫けそうになるのを妻とともに懸命に耐えながら、黒人としての誇りを持ち、アメリカ社会の差別や偏見を一歩ずつ乗り越えていく姿を描き出す。そして、1957年にドジャースを引退後、ロビンソンは野球殿堂入りを果たしたばかりでなく、偉大な功績を讃えてその背番号「42」がアメリカ・カナダのすべての野球チームにとって唯一の永久欠番と定められ、毎年4月の記念日には大リーグの全選手が同じ背番号をつけてプレイしていることを伝えて結ばれるのだ。
つねに深刻な対立や分断を内包しながらも、こうしたアメリカン・ドリームの楽天的なドラマを支えとして国民をひとつにまとめてきたのがアメリカ社会の力学だろう。つまりは、ごくオーソドックスな伝記映画がバラク・オバマ大統領の政権下において制作・公開されて、野球映画史上最高の興行記録を樹立したこと自体に歴史的意義があったと言うべきかもしれない。そして、それからまだわずかな歳月しか経ていないにもかかわらず、いまや全土でブラックライブスマター(Black Lives Matter)運動が燃えさかり、大坂なおみ選手が全米オープンのテニスコートに不慮の死を遂げた黒人の名前入りのマスクをつけて臨むことになるとはだれが予見したろうか。
「きょう球場に来るときに見かけた。子どもたちが草野球をやっていて、きみの真似をするんだよ、白人の男の子たちがね!」
リッキーがロビンソンに向かって、ふたりの大いなるチャレンジが凱歌をあげたことを告げたときのセリフだ。しかし、現在のアメリカ社会の状況は、かつてかれらに過酷な試練を強いた時代へとふたたび回帰してしまったかのように見える。
そうした観点に立つとき、この映画にはふたつの重大なメッセージが読み取れるのではないか。ひとつは、肌の色の違いによる差別を解消するための仕組みがこれまで、多大な犠牲と努力を払って積み木のように組み立てられては崩れ、組み立てられては崩れ……を繰り返してきたのだとすれば、そうやって積み木を組み立てる作業よりも、むしろいったん組み立てたものを崩さない方策のほうが求められること。その方策が見つからないのなら、もうひとつはもはや言うまでもないだろう、銃社会と訣別すること。リッキーとロビンソンをめぐるドラマには一切、銃が登場しない。たとえどれほどの不信と暴力がぶつかりあおうと、グラウンドは厳重な野球のルールに支配されて双方のぎりぎりの秩序を成り立たせている。万が一にもそこに銃が持ち込まれたとたん、際限のない恐怖の連鎖がはじまるに違いない。人種差別と銃を分離させること。それこそが、この映画がいまに示す最大のメッセージではないだろうか。
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