キース・ジャレット演奏『ソロ・コンサート』

わが身を削っての
インプロヴィゼーションの神業


233時限目◎音楽



堀間ロクなな


 先日、キース・ジャレットが脳卒中の後遺症による左半身の麻痺で演奏活動への復帰は困難になったというニュースが流れた。75歳の年齢は、今度のアメリカ大統領選挙を見ても引退するにはまだ早いかもしれないが、キースについてはもうずいぶん以前から心身の不調が伝えられていただけに、とうとうそのときが訪れてしまった、とは世界じゅうのファンが思いを等しくするところだったに違いない。



 天才的なジャズ・ピアニストとして頭角を現したキースが、そんな月並みな評価を蹴飛ばすようにわれわれの度肝を抜いたのは、20代の若さでありながらコンサートでソロのトータル・インプロヴィゼーション(完全即興)に取り組みはじめたことだ。のみならず、フランスのローザンヌ(1973年3月)、ドイツのブレーメン(73年7月)、ケルン(75年1月)、日本の京都、大阪、名古屋、東京、札幌(76年11月)……と、世界各地で行われた演奏の実況録音が続々とレコードになってベストセラーを記録する。そこに収められていたのは毎回60分以上にわたって、つまりベートーヴェンの『第九』交響曲に匹敵するだけの時間をたったひとりで、ピアノの鍵盤に立ち向かい、できあいの楽譜に頼ることなく、みずからの霊感に導かれて壮大な楽曲をつくりあげていくというもので、これだけの規模の即興演奏は人類史上初の試みだったのではないか。



 果たして、どのような精神の働きがこうした天衣無縫な演奏を実現させるのだろう? そのへんについてキース自身はこう語っている。



 「どうやってインスピレーションが湧いてくるかはわからない、ピアノに向かって気持ちを無の状態にすると、自然にメロディが出てくる。あとはその流れに身を任せていく。自分でもどのような展開になるのかわからない。そこが楽しいところでもあるが、無責任な演奏はできないから、非常に苦しくもある」(小川隆夫著『ジャズ超名盤』所収)



 同じインタビューで、かれは前記のブレーメンのコンサートの際には腰痛が悪化して注射を打ちながらピアノを弾いたことを打ち明け、ところが困難な状況になればなるほど集中力が高まる、あのときの演奏のレコードが好評だったのは、いつも以上に感覚が研ぎ澄まされていたからだ、と述べている。すなわち、半世紀近く以前のこのころから、かれは心身を酷使して、ときにその限界を超えた状態でステージに立ってきたのだ。わが身を削って、という表現はとかく安易に使われがちだけれど、文字どおり肉体の犠牲と引き換えに出会えるミューズ(音楽の女神)へ自己を託して、一期一会の即興演奏を繰り広げたのだろう。



 こうした神業めいたインプロヴィゼーションは、もとよりキースの活動の一分野を占めるだけであって、ほかにも多彩なミュージシャンたちとのコラボレーションにより、スタンダードなセッションから前衛的・実験的なチャレンジまであらゆる演奏のスタイルに取り組んだばかりか、後年にはバッハやモーツァルト、ショスタコーヴィチなどのクラシック音楽も手がけて見事な成果を収めている。手元に正確なデータを持ち合わせているわけではないが、わたしはジャズ・ピアニストとしてこれまで最も多くのレコードを発表したのはかれだと理解している。



 そして、かくも超人的な活動にともなう宿命だろうか、1990年代に重度の慢性疲労症候群と診断されてからは闘病生活と演奏再開を繰り返してきたうえ、近年に至って脳卒中の発作も起こして再起が危ぶまれていたなかでの今回の報道だった。久しぶりに懐かしいソロ・コンサートのCDを聴き直してみる。かつては世評の高いケルンの実況録音が気に入っていたが、いまの耳には最初のローザンヌでの演奏がひときわ感動的に響いた。静寂の懐から立ち上がったピアノが自然と生命力を漲らせ、やがて凄まじいばかりにきらびやかな音を撒き散らす。そこには音楽をする喜びに満ちた27歳のキースの笑顔があった。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍