丸山宗利ほか著『驚異の標本箱―昆虫―』

昆虫たちが綾なす
めくるめく生命の王国に遊ぶ


250時限目◎本



堀間ロクなな


 本邦平安朝の虫めづる姫君(『堤中納言物語』)やフランス近代のジャン=アンリ・ファーブルら、古今東西の名だたる昆虫マニアの系譜を受け継ぐものと言ったらいいだろうか。丸山宗利(九州大学総合研究博物館准教授)、吉田攻一郎(工業デザイナー)、法師人響(写真家)の三者による『驚異の標本箱―昆虫-』(KADOKAWA 2020年)をひもとくなり、昆虫に捧げられた尋常ならぬ愛情を目の当たりにして、そんな思いを噛みしめたのだった。わたしの本棚のなかで最も美しい一冊であることは間違いない。



 世界各地の珍奇な蝶や甲虫から、ゴキブリ、ノミ、シラミといったごく身近な連中まで、100種類以上の昆虫の標本写真を収めたこの図鑑のいちばんの特色は、被写体の隅々まで焦点が結ぶように考案された「深度合成撮影」という技法だ。その効果はまことにめざましく、肉眼ではとうてい見て取ることのできない実像が鮮やかに再現されている。それぞれの体躯は細部に至るまで緻密に造型され、外見に大地と同じ色合いをまとったり、まばゆい色彩の乱舞を繰り広げたり、そこには地球上で数億年にわたり進化を積み重ねてきたかれらの存在感と神秘性が如実に示されているのだ。



 この本の唯一の欠点は、いったんページを開いたら時間が経つのを忘れてしまうことだろう。昆虫たちが綾なすめくるめく生命の王国にあって、わたしの目を釘付けにしたベスト・スリーを挙げてみたい。



 まず、ケラ。子どものころ住んでいた小さな家の小さな庭でよく土の下から顔をのぞかせて、偶然にも目と目が合うとたがいに一瞬の緊張が走ったことを思い出す。わが家では縁起のいいものと見なされ、亡くなった母親はその鳴き声に合わせていっしょにうたっていたものだ。本書では「七つ芸の達人」と題して、びっしりと体毛に縁どられた6枚刃のシャベルのような前脚の写真が掲げられ、「『螻蛄(けら)の七つ芸』といって、ケラのさまざまな行動を馬鹿にして、器用貧乏を笑う言葉がある。しかし、それは完全な誤りである。ケラは歩く、飛ぶ、鳴く、掘るなど、実にさまざまな動作を行うことができるが、いずれも非常に巧みなのである」と説明され、いっそうケラへの敬意をかきたてる。



 ついで、タガメ。小学校のガキ大将のあだ名がタガメだった。水中生物の図鑑のたぐいには、逞しい両腕で捕らえたカエルをむさぼるようすが描かれて、プロレスの悪役レスラーのような強面ぶりに圧倒されたものの、環境の変化にともなって当時すでに絶滅に瀕していた。そんな幻の存在を、わたしは一度だけ貯水池でつかまえたことがある。いまでもあのとき手にした生命の重みを思いだすと武者震いが起こるほどだ。本書では「水中の暴君」と題し、「タガメは日本最大の水中昆虫であり、大きな鎌状の前脚をつかい、さまざまな生物を捕食する。見るからに屈強な姿で、ときに小型のヘビやカメさえ捕まえて、その体液を吸うという。カメムシのなかまであり、とくに雄はバナナやパイナップルのような独特の芳香を放つ」の説明を添えて、滅びゆく王者のブロンズの光沢を帯びた全身像を掲出している。その厳かな風格と言ったら。



 もうひとつは、ナナフシ。かつて目の前の枯れ枝がいきなり動きだして驚かされた相手の拡大写真を眺めると、とくに変哲もなさそうな身体がディテールにわたって枯れ枝仕様となっているのに改めて驚く。とても生半可な覚悟ではあるまい、その顔つきにはどこか思いつめた表情さえ窺える。「枯れ枝になりきる」と題した説明には「『隠蔽擬態』という。ナナフシのなかまは、その方法の専門家集団である。基本的に細長く、植物の枝に姿を似せているが、コノハムシなどのように、木の葉にそっくりな姿をしているものもいて、これもナナフシの進化した姿である」。そして、つぎのページを開いてさらに仰天した。19種類のナナフシの仲間の卵が並んでいたのだが、大小の別はあれ、いずれも植物の種子にそっくりなのだ。いやはや、ここまでの隠蔽擬態の徹底ぶりはどうだろう!



 こうした昆虫たちの王国に息づく多彩な生命のありように較べたら、われわれヒトの姿形なんぞ、いかにものっぺらぼうの単純平明なものでしかない。この程度のしつらえで体表のわずかなでこぼこをもとに美醜を騒々しく論じたり、ましてや、ほんの肌の色合いの違いが恐ろしい差別や暴力をもたらしたりすることの愚かさを、かれらは教えてくれているようにも思えるのだ。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍