ちゃぶ台と銭湯がある風景
大人の自習時間 スペシャル「私の午後8時」
堀間ロクなな
新型コロナウイルスのおかげで午後8時には家にいるのが当たり前となって、最大の恩恵は映画と向きあう時間がぐっと増えたことだ。本や音楽ならこま切れの時間でも楽しみようはあるけれど、映画はまとまった時間を充てなければならない以上、もっけの幸いと言うべきだろう。そこで、昨年秋にアマゾンで14インチ画面のポータブルBD/DVDプレイヤーと小型のアンプ内蔵スピーカーを買い求め、自分の部屋の小テーブルに設置したところ、ひとりで映画を楽しむぶんにはちょうどいいサイズのAV環境が整って(計2万円ほどで済んだとは!)、コロナ禍がなければ見過ごしていたかもしれない古今東西の名作を夜な夜な鑑賞している次第だ。
ただし、それはあくまでしらふの場合と決めている。夕食時にアルコールを嗜んだあとで初めての映画と向きあうと鑑賞どころではなくなってしまうので、そんなときは路線を変更し、自分がかつて親しんだTVドラマをかけて酩酊状態のわが身を任せることにしているのだ。そのために用意してあるソフトは、『太陽にほえろ!』マカロニ篇・ジーパン篇・テキサス篇(石原裕次郎主演)、『大忠臣蔵』(三船敏郎主演)、『刑事コロンボ』(ピーター・フォーク主演)など。1970年代前半の作品ばかりなのは、わたしが小学生から高校生にかけての多感な年ごろに接したからだろうし、それ以上にTVドラマの空前の黄金時代だったからだろう。こうしたなかで、目下、いちばん気に入っているのは『パパと呼ばないで』だ。
これは1972~73年に日本テレビ系列で放送された各45分・全40話の、もはや死語となった感のある「ホームドラマ」だ。しがないサラリーマンの安武右京(石立鉄男)は、急死した姉の遺児のチー坊こと千春(杉田かおる)を引き取って、東京・佃島の米屋に間借りして一家5人といっしょに暮らすようになり、ふんだんな下町情緒を背景に、涙あり笑いありのエピソードを積み重ねていって、最後は米屋の長女・園子(松尾嘉代)と結ばれて親子3人の家族として再スタートを切るまでが描かれる。その千春の故郷が千葉県の銚子で、わたしのいまは亡き母も近くの出身だったせいか、毎回の放送をひときわ感情移入して見入っていた姿をつい昨日のことのように記憶している。
ドラマのなかでシンボリックな位置を占めているのは、ちゃぶ台と銭湯だ。右京・千春と米屋一家の面々は朝夕に必ずちゃぶ台を囲んで食事をともにしながら、あれこれのハプニングに対立したり和解したり、大笑いしたり大泣きしたり。食後にはおたがいに連れ立って近くの銭湯へ出かけ、わだかまりをきれいさっぱり洗い流す。こうして、もとは赤の他人だった者同士が少しずつ家族の無償の愛を育んでいくのだ。言うまでもなく、そんな風景はドラマがつくられた当時もとっくに過去の遺物と化しつつあった。ちゃぶ台や銭湯だけではない、家族の無償の愛なるものも――。
7歳でデビューして千春役を演じた杉田かおるは、自伝『すれっからし』(1999年)でみずからの家族に関してこんな回想をしている。
「四歳から十歳まで、杉並の家に住んでいた。そのときの、わたしたち一家は、傍目には東京・山の手の典型的な恵まれた家庭に見えたらしい。ふたりの娘がいて、ひとりは児童劇団に通っていて、両親はまだ若くて、父親は不動産会社を経営して、富裕で、庭には錦鯉の泳ぐ池もあった。しかし、そのころ(正確にはわたしが六歳のとき)、父と母はすでに離婚していたのだ。父に愛人ができて、そのために家を出ていった。ところが、ふたりの娘がかわいいのと、池の錦鯉がかわいいのとで、しょっちゅう娘たちの顔を見たり、鯉に餌をやったり、家の掃除をしにやってきていたのだ」
この父親は不動産詐欺まがいのことに手を出し、やがて杉田は巨額の借金を背負う羽目になる。また、右京役の石立鉄男は妻のもとから家出して長らく別居状態で過ごし、のちに「2時間サスペンスの女王」となった園子役の松尾嘉代は独身をとおして現在に至っているらしい。すなわち、ドラマの大団円で新たな家族を結成する3人はいずれも実際にはかけ離れた人生を送ったわけだ。おそらくはわたしの母を含めてたいていの視聴者も、しょせんフィクションの「ホームドラマ」と割り切って楽しんでいたことだろう。そして、半世紀が経過したいま、われわれはたとえフィクションであっても「ホームドラマ」が成り立たなくなった社会を生きている。
『パパと呼ばないで』の佃島から都内を遠望するシーンでは、高々と聳え立つのは東京タワーと霞が関ビルだけで、あとはどこまでもだだっ広い空がのどかに笑っている。その空の下でわたしも暮らしていたはずだ。酩酊の午後8時過ぎのひととき、こうやってひとり1970年代をさまよっているのである。
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