私の「夜の街」

                                     黄文葦  

スペシャル「私の午後8時」


以前、午後8時、大体ご飯を作るあるいは食べる時間である。昨年から、職場での時間が短くなってテレワークが増えて、午後8時は、ほぼ散歩に出かける時間になった。コロナの前、一日一万歩を歩く。コロナの中、半減して五千歩ぐらいなってしまった。それでも毎日歩くことが欠かせない。 

緊急事態の中、人々の活動範囲はほぼ家の近くになっているので、多くの人が家の周りを深く再認識する機会を得たと聞いている。私もその中の一人。 夜の散歩道は家から駅まで、徒歩で大体12分間。自分なりの「夜の街」を体験している。

家近くに駐車場があり、以前は生い茂っていたが、今は現代風のコンクリートの駐車場になっている。ところで、駐車所の「原住民」である数匹の地域猫はコンクリートに慣れていない様子だと思われる。  

コロナの前、夜8時頃、近所の人が地域猫を囲んで、猫に餌をあげながら、世間話をしたりしている。猫は隣人同士がつながる時間を作ってくれた。最初、私は野良猫がかわいそうだと思っていたのが、後は、実に地域猫は地域活性化の不可欠な存在すら思っている。  

しかし、緊急事態の中、平和な近所付き合い時間が一時的に途絶えた。2月のある夜、駐車場の前を通ると、ただ一人の少年が猫に餌をやっていて、優しく猫に話しかけているのを見た。そうだ、緊急事態の中とはいえ、猫がお腹を空かせてはいけない。心の中にほっとした。隣人たちが猫を囲む「三密」を避けて、交代で猫に餌を与えるだろう。 

夜の散歩道に、日本一美味しいと言われる小さなおにぎり屋がある。コロナの前後と関係なくいつも行列ができている。昨年から多くの飲食店が倒れた。しかし、おにぎり屋が相変わらず元気だ。夜遅くなっても繁盛な様子が続けている。緊急事態の中、名物のおにぎりが不思議に異彩を放ち、しっかり人々の心を掴む。因みに、その店の中、すべてカウンター席、いつも満席だが、食客は、誰も話さず、静かにおにぎりを味わっている。 

駅周りの飲食店は大体8時に閉店。ところで、ある書店が相変わらずコンビニのように24時間営業。私はいつも、散歩の途中に書店に入る。夜8時過ぎると、書店の客が少ないはず。真夜中、人々は食べ物を求めるためにコンビニへ行く。ところで、真夜中に本屋に没頭するのは何のためだろうか、スピリチュアルな目覚めを求めるかもしれない。 書店に入ると、私はいつも雑誌コーナーに行く。一つ気になることだが、なぜ日本の雑誌は男性誌と女性誌に分かれているのか。時代とともに性別役割分業意識は薄くなってきて、人々の趣味はますます多様化しているのに、情報には男女差の意識をつける意味はないではないか。女性向けのファッション雑誌の部数減少傾向が著しいとメディアに報道された。女性らしいとされたファッションは好まれなくなったという。夜8時の書店にて、私は男性誌コーナーで政治・経済など分野の雑誌の中、おもしろい情報を探り、そして雑誌を買う。 

駅近くにアパホテルのタワーが構えている。1月中旬からこちらには新た新型コロナの軽症者などの患者の受け入れを開始した。ホテルの外、白いテントが設置している。以前、週末によくホテルの二階にあるカフェでコーヒーを飲んでいた。現在閉店している。カフェの店長は東南アジアの出身者らしい。いつもきれいなスーイツを創作してくれる。  

私はしばらくホテルの向かい側に立つ。ホテルの窓の約半分が点灯している。窓の中と窓の外、二つの異なる世界。ホテルを見上げながら、新型コロナが身近なものであると思い始めた。新型コロナと戦うではなく共存していると実感した。地域猫、おにぎり屋、本屋、ホテルなどなど、それらはすべて私たちの大切な普通な日常である。新型コロナも本当の「ただの風邪」になってくれればいいと思っている。 

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍