コロナ時代の旅、日光を味わい  

                         黄 文葦 


 続いている「非常事態」は、「日常」になってしまったようだ。

 6月の最初の週末、緊急事態の隙間に小さな旅を出たくて、世界文化遺産の観光地である日光へと向かった。早朝の池袋駅で赤い日光特急に乗り、新幹線と同じように快適だったが、座席のそばに充電用のコンセントが見当たらないのが難点だった。 1車両に10人ぐらいしか乗っていなかった。「疎」の旅になった。 

 2時間ほどで東武日光駅に到着し、バス乗り場から先に予約していたホテルに向かった。ホテルに入ってみると、暗くて、どうして電気をつけなかったのか。 カウンターのベルを鳴らすと、年配の紳士が出てきて、急いで電気をつけて私を迎えてくれた。チェックインするのは午後3時頃になりそうだった。私はその老紳士に、「まず荷物をここに置いて、観光に出かけるから、観光ルートを提案してくれないか」とお願いした。 

 事前に観光プランを立てず、ホテルに到着してから、ホテル人間が皆、観光スポットに目利きであることに耳を傾けるという、私のいつもの旅の手法だ。 老紳士は、バスの乗り方や各観光地への行き方を熱心に教えてくれた。ホテルの自作の地図を取り出して、観光の最善ルートを描いてくれた。他の客があまりいないので、時間に余裕があるはずだ。夕食の時間を決めてから、老紳士が手作りした真新しい旅の行程表を持って出発した。

11時にちょうど輪王寺の大護摩堂に到着した。日光山随一の護摩祈願所。コロナ以来、「密」を避けるために、本来一日3回の護摩祈願が一日五回に変更した。私は護摩祈願を約30分間に清聴していた。悔い改めなければならないことを何となく自然に思い出し、心が浄化されたようで、また新たに出発する気持ちになった。 

 二荒山神社の神橋で不思議な出会いに遭遇した。イスラム風の装い2人の女性が、虹色の傘を持ち、チャーミングな笑顔で様々な可憐なポーズをとって写真を撮っているのを私は感心して見ていたが、彼女たちはなんと、私のところに来て挨拶をし、慣れない日本語で 「写真を撮ってもらえますか」と聞いてきた。 勿論、喜んで撮るよ。私は彼女の携帯電話を持って、縦横に何枚も写真を撮ってあげた。彼女たちに「どこから来ましたか」と尋ねたところ、「エジプト」と答えてくれた。 「エジプト」、この言葉は天から浮かんでくるようで、地球がスローダウンしているこの時期に、ピラミッドから神橋まで飛んできて、私の目の前に現すのに不思議だ。 彼女たちの生き生きとした姿と虹色の傘は、私の旅の思い出に溶け込んで、何とも言えない感動を与えてくれた。神橋は、良縁成就を祈願する聖地でもある。 彼女たちに出会うのもまさに良縁だ。 

 日光の旅、東照宮は必ず行く場所である。その日、観光客が多すぎず、少なすぎず、という感じであった。ちょうどいいと言ったほうがふさわしい。東照宮の黄金色を眺めるのは頗る心地良い。多少の剥がれはあるものの、黄金色の輝きは依然としてキラキラに見える。 長い階段を登って、徳川家康の御墓所・奥宮に辿り着いた。久しぶりに体を動かして、しかもマスクをつけているので、ちょっと体力がついていけないと感じた。ここは憩いの場、心の整理ができる場と悟った。 

ところで、東照宮にも輪王寺にもちょっとビジネスの匂いが漂っている。重要な文化遺産の前で観光客に歴史を解説する人が、後には干支の護符など記念品をも薦めている。お土産を買う人があまりいなかった。もし中国人観光客が来たら、きっとお土産を買ってくれると思う。中国人が海外旅行に行ったら、たくさんのお土産を買って戻って周りの人に配る習慣がある。 午後4時過ぎにホテルに戻ると、ホテルの老紳士が迎えに出てきて、荷物を部屋に入れておいたと言い、老紳士は、夕食のレストランにはバスローブを着て行ってはいけないと説明してくれた。

部屋に入ると、大と小の二台の除菌機がすでに動いているのを見て、心が落ち着いた。 室内外に2つの大きな温泉池がある、一人きりで、まるで私のものになった。 このような贅沢でリラックスした時間は、たぶん緊急事態期間にしか味わえないだろう。現在、多くのことをオンラインに移されていくのが、さすが、温泉はオンラインでは楽しめない。 日本の温泉には必ず、温泉の特徴や成分、効能などが書かれている。こちらの温泉は、無臭で透明感があり、心のストレスを和らげる効果があるとされている。 

露天風呂の横にある岩の割れ目の間には蟻の列があり、プールの水面には小さな花や草が浮かんでいる。まさに肌で自然を満喫する。 このホテルのレストランは素敵、雪のように白いテーブルクロスを敷いたヨーロッパスタイルで、外には芝生があり、夏にはパティオで食事ができるようになっている。ロビーより、ホテルのレストランのほうが広々とした空間である。 

 ウェイターも老紳士で、料理を出した後は遠くに立っていますが、一つの料理を味わった後、ちょうど良いタイミングで次の料理を持ってきてくれた。 翌日、華厳の滝と中禅寺湖へ行った。中禅寺湖は穏やかな湖。あたかも陸地の一部になっている。感心したことに、ウェットスーツのような服を着た数人の釣り人が、体の半分を水に浸かって釣りに集中していること、緊急事態の中、どんなことがあっても、自分の興味に専念することは素晴らしい。 

 日光観光はすべてバスを利用し移動する。日光のバスには、中国語のアナウンスが流れている。たいへん親しさを感じる。コロナの以前、世界遺産の日光にどれだけ賑わっていたのか、かつて中国人観光客が押し寄せていたことを想像し、その風景はいつになったら戻れるだろうか。 

 コロナ時代の旅、「疎」の雰囲気になっている。コロナ以前の時間に戻れない。旅のカタチの復旧もできないかもしれない。新しい時代、新しい旅のカタチに適応するために、改めてこころの準備が必要だ。 

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍