マリア・カラス歌唱『アット・コヴェント・ガーデン』
ディーヴァは
ナイフの刃を突きつけた
305時限目◎音楽
堀間ロクなな
やはり20世紀最高のディーヴァ(歌姫)はこのひとだった、と天を仰がずにはいられない。マリア・カラスが1962年と64年、英国ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスに出演した映像記録『アット・コヴェント・ガーデン』だ。このときの年齢は38歳と40歳で、すでに全盛期を過ぎていたものの、その眼光は猛禽類のように爛々として表情を千変万化させながらうたいあげる姿には圧倒されてしまう。たいていの歌手が役を演じるのに対して、カラスは役を生きているのだった。
前半には、ヴェルディ作曲『ドン・カルロ』からエリザベッタのアリア「世のむなしさを知る神」と、ビゼー作曲『カルメン』から「ハバネラ」「セギディーリャ」がうたわれる。ステージにはたったひとり、黒いドレスの胸元に銀のブローチをつけたシンプルな装いで立っているだけなのに、たちまち、政略結婚によって愛する皇太子の父王に嫁がされた王妃の憂いの風情となり、また、気まぐれで誘惑した男まで破滅させずにはおかない魔性の女のまなざしとなる……。
さらに圧巻なのは、後半のプッチーニ作曲『トスカ』第2幕だ。19世紀最後の年に初演されたこのオペラは、フランス革命期の梟雄ナポレオンがヨーロッパ全土を揺るがせた時代のローマを舞台としている。人気を博する歌手トスカ(マリア・カラス)は、反体制派の政治運動につらなる画家カヴァラドッシ(レナート・チオーニ)と相思相愛の仲だった。冷酷な警視総監スカルピア(ティト・ゴッビ)もトスカに横恋慕して、その下心から強引にカヴァラドッシを捕縛したところで、第2幕がはじまる。カルロ・フェリーチェ・チラーリオの指揮、舞台装置や衣裳はすべて時代考証にもとづき、演出には名匠フランコ・ゼッフィレリがあたったという絢爛豪華さだ。
警視総監の公邸に使われているファルネーゼ宮殿の一室で、トスカとスカルピアの両者が向きあう。地下室からは拷問されるカヴァラドッシのうめき声が聞こえてくる。恋人の苦悶に耐えきれずにトスカは政治犯の居場所を洩らしてしまい、カヴァラドッシは激昂するが、そこにナポレオン軍の勝利の報が届くと快哉を叫びながら連れ去られていく。その後ろ姿を見送って、スカルピアはトスカに対してかれの処刑を告げ、もし釈放を望むのなら、それと引き換えに肉体を要求するのだ。
「強姦などはしないさ、君は自由さ、どうぞお行きなさい。だがはかない期待ですな、女王様は死骸に特赦をされるわけだから。何と私を憎悪していることか!」
「ああ、神様!」
「そういう君がほしいんだ!」
「触らないで、悪魔! 憎むわ、憎んでやる、卑劣よ、卑怯よ」
「それがどうしたんだ? 怒りの悶えも…官能の悶えも同じさ!」(永竹由幸訳)
恋人を救うために身動きできずにいる相手を、ゴッビの扮するスカルピアは、あくまで高貴な振る舞いでいたぶること自体に舌なめずりしているありさまが凄まじい。カラスはここで有名なアリア「歌に生き恋に生き」を絶唱したあと、敵の目を盗んで卓上のナイフを手に取って叫ぶ。
「これがトスカの接吻よ!」
そうやって刃を警視総監の胸に突き立てたのちに、仰向けの死骸の両側に燭台を置き、胸には十字架をのせる。その儀式のあいだのカラスの熱に浮かされた顔つきは、たがいに生命のやりとりを介して情欲の炎を燃え上がらせたあとの忘我の表情にも見える。それはフランス革命のバスティーユ監獄からマルキ・ド・サドが現われたように、ヨーロッパの貴族文化の爛熟がもたらすサディズムという禁断の美を、プッチーニの音楽とカラスの歌唱が20世紀の舞台に現出させた瞬間だったろうか。
トム・ヴォルフ監督のドキュメンタリー映画『私は、マリア・カラス』(2017年)のなかで、カラスは幾多のスキャンダルを巻き起こしながらも、自分の歌を聴いてオペラを退屈と思うひとはいないだろう、と自負してみせる。そして、こう断言した。「私の自叙伝は歌のなかに綴られている。歌は私の唯一の言語だから」――。おそらく、彼女はナイフの刃をスカルピアの胸だけでなく、みずからの胸にも突きつける気迫でこの日もステージに立っていたのに違いない。
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