バッハ作曲『コーヒー・カンタータ』
「音楽の父」が説く
家内安全の術
332時限目◎音楽
堀間ロクなな
クラシック音楽史で謹厳実直と言ったら、真っ先に思い浮かぶのは「音楽の父」ことヨハン・ゼバスティアン・バッハだろう。ドイツ・プロテスタント教会での演奏を目的としておびただしい作品をつくっただけに、その肖像画を眺めただけでもまるで一度も笑ったことのないような厳めしさが伝わってくる。だが、バッハの二番目の妻のアンナ・マグダレーナが書き残した『バッハの思い出』には、実際に几帳面な性格でだらしないことが大嫌いだったという夫にも、こんな一面があったと伝えている。
「ゼバスティアンをよく知らない人たちはみな、彼がコーヒー・カンタータのような諧謔的なものを作ったのにびっくりしました。けれども、彼はいつも笑いだすような物語が好きで、それにコーヒーも、上等なビールや例の莨(たばこ)パイプと同じように、大の好物でした。友人のピカンデルがコーヒーの害について愉快な話を書きましたとき、ゼバスティアンはたいへんこのユーモアを面白がって、それを作曲しようと思い立ちました。(中略)ゼバスティアンは明るい生きいきとした曲を書き、わが家ではいつもこの演奏が楽しみでした。これの結びにある愉快な三重唱(トリオ)を子供たちが三人でうたいますと、何度も彼の楽しそうに笑う声が聞かれるのでございました」(山下肇訳)
カンタータとは、バッハの作曲活動の中核をなす器楽伴奏つきの声楽作品で、礼拝のための約200曲におよぶ教会カンタータと、身近な世相を描いた20曲あまりの世俗カンタータがあり、『コーヒー・カンタータ(お静かに、おしゃべりせずに)』は後者の代表作で1732年ごろにつくられた。当時、アフリカ発祥の新奇な飲みものだったコーヒーがヨーロッパにもたらされ、バッハが暮らすライプツィヒでも大流行して、とりわけ若い女性たちのあいだで熱狂的に迎えられたらしい。そんな風潮を反映したのがこのカンタータで、語り手(テノール)と父親(バス)、娘のリースヘン(ソプラノ)の3人の歌手によってうたわれる。
頑固な父親はわが娘がすっかりコーヒーに取り憑かれたのに腹を立て、なんとかやめさせようとするが、リースヘンは悪びれずこんなふうに言ってのける。
わたしが日に三回、コーヒーを
飲むのがいけないのなら、
苦しくてわたしは、まるで
乾からびた羊の焼肉みたいになってしまうわ。
(松永潤子訳)
難攻不落の相手に対して、父親は搦め手に出ることにし、コーヒーをやめるなら素敵な結婚相手を見つけてやろうと持ちかける。すると、思春期の乙女にとってはそれも心惹かれる成り行きなので合意が成り立つ。だが、父親が花婿探しの旅に発ったとたん、リースヘンはぺろりと舌を出し、婚姻契約書にコーヒーを好きなだけ飲ませてくれると書かなきゃ結婚してやらないよ、とつぶやく。かくして、バッハ夫の手記によれば、家庭でうたいながら笑いあったという三重唱で結ばれるのだ。
猫はねずみを見のがしはしない、
娘たちはコーヒーを離さない。
母親はコーヒーがお気に入り、
お祖母さんもまた飲んだのです、
誰が娘を責めたりするだろう。
いかにも微笑ましい団欒の光景が彷彿とする。もっとも、いまどきコーヒーをめぐってこうしたドタバタ劇が起きるはずもないが、だからと言って300年前のドイツの旧弊な社会の笑い話と済ませられるものだろうか。このコーヒーを、たとえば人気ブランドの化粧品やジュエリーに置き換えてみたら? あるいは、父親の目など届かないSNSやネット通販のたぐいでもいい。現代日本の娘たちの生態と立派に重なってくるだろう。ひっきりなしにスマホをいじくっている娘に向かって父親が意見したところで、しょせんは『コーヒー・カンタータ』が描くとおり、相手の手玉に取られて終わるのがオチではないか。
女の欲望を甘く見てはいけない。それは、上記の美しい三重唱でうたわれるように、祖母、母親、娘たち……と世代を超えて受け継がれながら、欲望の対象は変化しても欲望そのものが落ち着くことは決してない。どのみち、一家の主たる父親は振り回されるしかないわけで、そうであるなら、いっそ女の欲望を笑って受け入れてしまったほうが家内安全の術だ。『コーヒー・カンタータ』を聴いていると、わたしはユーモアというより、そうしたアイロニカルな諦観が胸に迫ってくるのである。いついかなる局面においても、やはりバッハは謹厳実直だったのではないだろうか。
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