ミッチェル著『風と共に去りぬ』
憐憫!親切!
ああ、なんということ
349時限目◎本
堀間ロクなな
映画『風と共に去りぬ』(1939年)の企画にあたって、スカーレット役の女優の選定が難航をきわめ、主役不在のままアトランタ炎上のシーンの撮影がはじまったところへ、イギリスからやってきたヴィヴィアン・リーが製作者セルズニックの目を見張らせて金的を射止めたことはよく知られている。彼女だけではない、この作品の主要な登場人物4名のうち、生粋のアメリカ人はレットを演じたクラーク・ゲーブルだけで、他のアシュリー役のレスリー・ハワードとメラニー役のオリヴィア・デ・ハヴィランドもイギリス人だった。
つまり、このハリウッドの歴史的大作を支えたのは演劇の国のパワーだったわけで、それがあたかもシェイクスピア劇のような格調をスクリーンにもたらした反面、マーガレット・ミッチェルの原作小説が持っていた、ぎらぎらと乱反射する、野卑なまでのエネルギーは薄められてしまったのではないか、とわたしは思う。
48年の生涯のほとんどをジョージア州アトランタで過ごしたミッチェルは、地元の雑誌記者を短期間つとめたのち、くるぶしを捻挫して寝たきり生活を強いられたのをきっかけに、かつて農園で祖母や母から繰り返し聞かされた南北戦争以来の伝承をふくらませて物語をつくりはじめた。そして10年後の1936年、35歳のときに本となって出版されるなり、たちまちベストセラーに。そんな『風と共に去りぬ』のいちばんの魅力は、手練れの職業作家によるものではない、まさにアメリカ南部の大地に足を踏んまえた女性ならではの熱っぽい息づかいだったろう。
たとえば、映画では、上記したアトランタ炎上からかろうじて脱出したスカーレットに向かって、レットが思いの丈を迸らせて求愛するところは最もロマンティックなシーンとなっている。だが、原作でのレットの発言はあくまで散文的だ。「ぼくはきみを愛している。ふたりとも裏切り者で利己主義の不徳漢だ。じつによく似てるじゃないか。だからこそ、ぼくはきみを愛するのだ。ぼくは、自分らさえ安全で愉快なら、世界がどうなろうと、すこしもかまわない種類の人間だ」(大久保康雄・竹内道之助訳)。ささくれだっているぶんだけ生々しい。この告白から10年ほどが経って、紆余曲折の果てに結婚したふたりがついに破局を迎えるところが原作小説の最大のクライマックスだろう。
およそ世界文学のなかで、これほど容赦なく夫婦の亀裂を見つめた作品をわたしは他に知らない。そこには、ミッチェル自身が若い日に出会った「レッド」というあだ名の、ノースカロライナの名家出身で(作中のレットはサウスカロライナの名家出身)、アナポリス士官学校を放校になり(同、ウエスト・ポイント陸軍士官学校を放校)、酒の密売を生業とした(同、戦争商人)ヤクザな男との結婚から離婚までの実体験が反映しているはずだ。
スカーレットとレットは、幼い愛娘を落馬事故で失ったのに続いて、親しい間柄のメラニーの不慮の死も見送り、あとに残された夫のアシュリーの存在をめぐって激突する。かねてスカーレットのアシュリーに寄せる思いに苦しんできたレットは、いまや決然と離婚に踏み切り、スカーレットのほうはこの期におよんで自分が真に愛しているのはレットだと気づくのだが……。そんな両者の応酬はこんなふうに描かれる。
「レット、そんなにあたしを愛したのなら、まだいくらか愛が残っているはずだわ!」
「残っているのは二つだけだ。それも、きみがいちばんきらいな二つだ――憐憫と、奇妙な親切に似た感情だ」
憐憫! 親切!(ああ、なんということだろう)と、彼女は絶望して考えた。ほかのものなら、なんでも受け入れることができるだろう。だが、憐れみと親切だけは! 彼女がだれかにこの二つの感情をいだくときは、かならず軽蔑をともなうのがつねなのだ。では、レットは彼女を軽蔑しているのだろうか? 軽蔑されることをのぞけば、ほかのなにをされてもかまわなかった。(中略)
「では――では、あたしがなにもかもぶちこわしたとおっしゃるの?――もう、あたしを愛してはくれないの?」
「そのとおりだ」
「でも」と、彼女は、せがめばほしいものが手にはいると思いこんだこどものように、しつこくくどいた。「でも、あたしは、あなたを愛しているわ」
「それはきみにとって不運というべきだろうな」
憐憫と親切、そして軽蔑。これらこそ、歳月をともにした夫婦を最終的な訣別へ追いやるものだと、不肖、わたしも離婚を経験した者のひとりとしてぴんとくる。あらためて胸の奥にしまった古傷が疼きだすほどだ。いま考えるのはよそう、明日タラへ帰ってレットを取り戻す方法を考えよう、とスカーレットが自分に言い聞かせるところで作品は結ばれるが、離婚経験者ならばふたりが縒りを戻すことはありえないとわかっている。世界じゅうから続編の小説を望まれながら、ミッチェルが筆を執らなかったのも、それが理由だろう。
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