矢口史靖 監督『ロボジー』
栄光の鉄人28号の
末裔がここに
369時限目◎映画
堀間ロクなな
生来のずぼらな性格により物持ちの悪いわたしではあるけれど、どうしたわけか古びたスケッチブックがいまでも納戸で埃をかぶっている。幼稚園時代のものだ。表紙をめくると、始めのページに青いクレヨンで鉄人28号の頭部が描いてある。つぎのページにも、またつぎのページにも……、結局、まるまる一冊同じ絵柄で埋め尽くされているのだ。それらのたどたどしいながら一途な手跡は、幼い自分があの巨大な鋼鉄製ロボットにすっかり取り憑かれていたことの証左に他ならない。
『鉄人28号』は、1956年から横山光輝のマンガ連載がはじまり、1963年にテレビ・アニメ化されたことで日本じゅうの子どもが知るようになった。太平洋戦争中に軍部が開発した秘密のロボット兵器が復活し、その第28番目の一体が少年探偵・金田正太郎の操作するリモコンにしたがって、世界征服をもくろむ犯罪組織やスパイ集団と戦っていくという筋立て。毎回冒頭の、夜の都会のアスファルトに鉄人28号の影が映るシーンでもう全身の血が逆流するような興奮を覚えたものだ。金田少年が手にするリモコンをどれほど自分も欲しかったことだろう!
この『鉄人28号』がテレビに登場した年には、他にも『鉄腕アトム』(手塚治虫)、『エイトマン』(平井和正・桑田次郎)といった人気アニメの放映がスタートして、さしずめ映像メディアにおけるロボット元年の観を呈した。その後、『鉄人28号』を引き継ぐ実写版の『ジャイアントロボ』(横山光輝、1967年~)、ホームドラマの分野に進出した『ドラえもん』(藤子・F・不二雄、1973年~)なども交えながら、空前のブームを巻き起こした『マジンガーZ』(永井豪、1972年~)や『機動戦士ガンダム』(矢立肇・富野喜幸、1979年~)へとつながっていく。
それにしても、あのころなぜ、まるで世界に例を見ない賑々しいロボット王国が出現したのだろうか? わたしは大きくふたつの要因が作用したと思う。ひとつは、『鉄人28号』の設定が示すとおり太平洋戦争の敗北で地に堕ちた科学技術力、もうひとつは、そのどん底から高度経済成長を成し遂げた科学技術力。すなわち、戦後日本の科学技術力をめぐるマイナスからプラスへの極端なベクトルの振れ幅が、その延長線上に現実離れしたロボットたちの未来図を描きだしたのではなかったか。
そんなことを考えたきっかけは、矢口史靖監督の『ロボジー』(2012年)だ。ウィキペディアの記載によれば、公開時に映画観客動員ランキングのトップを占めたそうだから、レッキとしたロボット王国の系譜につらなる作品と見なせるだろう。もっとも、主役の二足歩行ロボット「ニュー潮風」は、町工場のしがない社員3人(浜田岳、川合正悟、川島潤哉)が手づくりでこしらえた粗末な代物。社長から宣伝のためにロボット博覧会への出品を命じられてのことだったが、直前に事故であっけなく壊れてしまい、クビになるのを恐れた3人はひそかに内部に人間を入れることにして、背格好とぎくしゃくした歩き方がぴったりの独居老人(五十嵐信次郎)に白羽の矢を立てる。
つまり、ここに登場したロボットは、栄光の先輩たちとは似ても似つかない、ただのまがいものなのだ。ところが、最新の各種ロボットがひしめく博覧会場でひときわ人間臭いロボットゆえに(中身が人間なのだから当たり前だ)テレビで取り上げられて以降、全国各地のイベントから引っ張りだこの人気者となっていく。そのちぐはぐな成り行きは、20世紀末のバブル経済崩壊から延々尾を引く景気の長期低迷と、東日本大震災の福島第一原発事故がもたらした科学技術立国神話の崩壊という、ダブルパンチの空虚を抱え込んだ時代状況に見合ったもので、だからこそ映画は大ヒットを記録したのに違いない。
そうこうするうち、ロボットおたくの女子大生(吉高由里子)が「ニュー潮風」の正体に疑惑を抱いて尾行をはじめる。そして、ついに望遠レンズのカメラがそのなかの人物をキャッチすると叫ぶのだ。
「こんなおじいちゃんなの!」
彼女は中身が人間なのが意外だったのではない、それが前途のある若者ではなく、終末間近い老人だったことが驚くべき発見だった。老人のほうもまた、生身の姿のときには周囲から煙たがられるだけの存在なのが、ロボットに変身したとたんだれにも笑顔をもたらす幸せの使者となることに驚きの発見を味わう。まさしく、「ニュー潮風」は未曽有の少子高齢化社会を迎えた日本にふさわしいヒーローでもあったろう。それにつけても、はるか昔日の鉄人28号の勇姿がいまにして輝かしく思い起こされるのである。
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