中国の子どもたちは「日本全史」についてどのように学んでいる?
【質問】
前回のメルマガの中、『中国史とつなげて学ぶ 日本全史』の紹介を見て、私もさっそく読んでみようと思いました。ところで、中国の子どもたちは「日本全史」についてどのように学んでいるのですか?
【回答】
『中国史とつなげて学ぶ 日本全史』の中国版があったらいいと思います。中国の子供たちと若者は日本の歴史をあまり詳しくないと思います。当方には、昔の歴史教科書の中、日本に関するものには遣唐使だけ印象に残っています。
因みに、21世紀の初頭、日中韓3国共通教材づくりという動きもありました。日中韓3国共通歴史教材委員会の共同編集である「東アジア3国の近現代史」という歴史教科書が三国で出版されましたが、中国では、あまり影響力がなさそうです。 中国の子どもたちは「日本全史」を学ぶには、学校の歴史教科書しかないです。中国の中学校の世界歴史教科書の中、「東・西アジアの封建国家」という内容があり、その中、日本の歴史を取り上げられています。
例えば、以下のような内容です。
「1世紀頃、日本では奴隷国家が誕生した。 その後、本州中部に比較的強力な奴隷国家「大和」が出現した。 その後も大和は拡大を続け、5世紀には日本本土を統一しました。ヤマトの最高支配者は大王と呼ばれ、後に天皇と改名した」。
「日本社会の原始時代には、自然崇拝が盛んで、それが次第に神道へと発展していきた。太陽、海、川、木、山、亀、蛇など、すべてに神や精霊がいて、それを崇めるべきだと信じられていた。階級社会が発展すると、支配者は『太陽神は他のすべての神々の支配者であり、天皇は太陽神の子孫である』と言って天皇を神格化した」。
「大化改新の後、それまでの大和政権と区別するために、国名を『日出ずる国』という意味の『日本』に正式に変更した。日本は中国の文化を積極的に吸収した。 教育、宗教、建築、美術、文学など、日本は中国の影響を受けた。 日本は唐の教育制度を真似て、中央に太極拳、地方に国民学校を設置した。8世紀の日本には、東大寺や法隆寺などの有名な仏教寺院があった」。
「日本人は漢語や漢詩を愛していた。8世紀半ば、日本で初めての漢詩集が編纂され、100編の漢詩が収められた。9世紀の日本では、唐の詩人・白居易の詩が広く伝わり、日本の文人たちに愛された。 中国の書家である王羲之や欧陽詢の書は、日本でも高く評価されていた」。
「また、日本では僧侶の弘法大師をはじめ、多くの著名な書家が誕生しました。 日本の絵画も唐の影響を受けており、『唐絵』が登場しています。その後、日本では『大和絵』という流派が生まれた。『大和絵 』とは、物語を漫画にしたり、屏風や扇子に描いたりした画風のこと」。
以上のように、中国の歴史教科書に掲載されている日本の古代史は、ほぼ客観的なものです。そして、中国伝統文化が日本に与えた影響を浮き彫りにしています。近現代史、日中戦争の歴史になると、日本に対して完全に批判的で憎悪に満ちた姿勢になってしまいます。
中国の子供と若者たちは、日本の歴史について、古代日本は中国の伝統をコピーし、中華文化を学んで日本文化を作ったと考えているわけです。近代になると、日本は中国を侵略するようになり、特に「抗日戦争」は中国人に大きな苦しみを与えたという認識を皆がもっているようです。
(メルマガ黄文葦の日中楽話第65話より)
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