『古今和歌集』
平安朝の人々の
哄笑が聞こえてくる
415時限目◎本
堀間ロクなな
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」
初の天皇の勅命になる『古今和歌集』(905年)にあって、紀貫之は仮名序をこう書き出している。中国から渡来した漢詩に対して、和歌のほうこそ日本人の正真正銘の言葉に他ならないという、編纂者としての高ぶりが伝わってくるようだ。そこには、平安時代に至ってひらがなが誕生したことも与って力あった。それはそうだろう、ひらがなであれば幼児だって読み書きできるのを見るだけでも、漢字をもとにしたにせよ、この文字体系がどれほど革命的な意義を有したかはわかろうというものだ。
したがって、ここに収められた約千百首の和歌に「四季」や「恋」の主題が大きなウェートを占めているのは、当時の日本人の美意識を反映するのと同時に、新たなひらがなの方法によってどこまで表現することが可能になったのか、それを突きつめようとした積極果敢な試みの結果でもあったのに違いない。わけても、わたしが強く興味をそそられるのは、滑稽や諧謔・風刺にチャレンジした作品だ。なぜなら「笑い」こそ、最もラディカルな表現の冒険を求めるはずだから。
以下、引用は『新潮日本古典集成』(奥村恆哉校注)にもとづく。まずは、よみ人しらず(作者不詳)の一首。
・梅の花 見にこそ来つれ 鶯(うぐひす)の ひとくひとくと いとひしもをる
梅の木に鶯とは、夫婦の仲睦まじい交わりを表したもの。それを眺めにきたら、鶯の鳴き声が「人来、人来」と邪魔立てするように聞こえたとか。他愛ない駄洒落ではあるけれど、ひらがなだから成り立った。つぎは、六歌仙のひとり、僧正遍昭の作。
・秋の野に なまめきたてる 女郎花(をみなへし) あなかしがまし 花もひと時
あだっぽい女たちを秋の野の女郎花に譬えて、その騒々しさをあげつらっているのだが、本来、凡俗を脱したはずの僧侶にふさわしからぬ、とぼけた味わいもひらがなによるものだろう。もうひとりの六歌仙、小野小町の作はもっと激しい。
・人に逢はむ 月のなきには 思ひおきて 胸はしり火に 心焼けけり
恋人に逢う手立てもない闇夜の鬱憤を吐きだして、「思ひおきて」の「ひ」が「火」に掛かり、「おき」が「起き」→「熾き」に、「胸はしり」から「はしり火」→「焼けけり」へとエスカレートしていき、心中でぱちぱちと火花の散っているありさまが伝わってきておかしい。女の胸のうちを露わにしたといえば、こちらも生々しい。よみ人しらず。
・あしひきの 山田の案山子(そほづ) おのれさへ われを欲しといふ うれはしきこと
案山子(かかし)のようなお前までが求婚してくるなんて、ああいやだ、の弁。校注によると、案山子とは男としての機能が不完全な男を暗示するそうで、いまならさしずめ、このインポ野郎め! といったところか。おそらく、男も女も宴席でこんな歌を肴に盛り上がったのだろう、平安朝の人々の哄笑が聞こえてくるような気がする。もうひとつ、よみ人しらずを。
・そゑにとて とすればかかり かくすれば あな言ひ知らず あふさきるさに
要するに、ああでもないこうでもない、の繰り言。こんなばからしい愚痴のたぐいまでも堂々と表現できるようになったわけだ。『古今和歌集』のこれらの「言の葉」たちが、やがて俳句や川柳などにもつながり盛大な花を咲かせていく。ひらがなの誕生は、千年あまりの歳月にわたって、世界にも例を見ないぐらいの「笑い」をわれわれにもたらしてきた原動力ともなったのである。
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