人生の学び直しの根っこにあるものは?

大人の自習時間 スペシャル「私のリスキリング」



堀間ロクなな


 あけましておめでとうございます。このブログも5年目となりましたが、相変わらず楽しみながら書いていますので、みなさまにも楽しんで読んでもらえましたら幸いです。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



 このところ世間に「リスキリング(学び直し)」の掛け声がかまびすしい。もともと財界が唱えだしていたところに、岸田首相が「個人のリスキリングの支援に5年間で1兆円を投じる」と表明したことが拍車をかけた格好だが、要するに近い将来に見込まれるIT人材の不足を補うためデジタル技能をいっそう普及させることが必要という、はなはだ現実的かつ矮小化された目的があっての話らしい。まあ、政財界の言い分はわかるとしても、個々の人間にとって人生を再設計する「リスキリング」とはそんな生易しいものではないだろう。そのことを痛烈に教えてくれるのが、山田佳奈監督の映画『タイトル、拒絶』(2020年)だ。



 大学を出たばかりのカノウ(伊藤沙)にとって人生は「クソみたいなもの」だ。これまで成り行き任せの日々を、ほんの気まぐれで男たちとセックスしながら過ごし、やがて就職試験になると受けては落ち受けては落ちを繰り返し、気がつけば路頭に迷っていた。やむなく春をひさぐ職業に飛び込もうとしたものの、いざベッドの上でスケベな中年男に迫られると逃げだしてしまってものにならず、辛うじて風俗嬢をホテルへ派遣するデリヘルのオフィスのスタッフとして働きはじめる。かくて、人生の表舞台からすべり落ちてぎりぎりの「リスキリング」にいそしむ彼女たちの生態を目撃することに――。



 ただし、急いで断っておくと、だからと言って「濡れ場」のシーンはない。もともと演劇を作者みずからが映画化しただけに、もっぱら俳優のセリフに立脚して、デリヘルはそれを際立たせるための舞台装置に過ぎない。とめどなく無意味なおしゃべりに興じる女あり、部屋の隅でノートに細々と自己の内面を書き綴る女あり、暴力をふるうだけのクズ男にしがみついてひたすら尽くす女あり。あるいはまた、新入りのリユ(野崎智子)はモデル並みの美貌とスタイルを誇り、それに圧倒された他のメンバーがべちゃくちゃといつも以上に我を張りあうと一喝する。



 「ここにいるひとたちにどう思われようと、どうでもよくないですか。こんなところで働いている以上、全員社会不適合者ですよ。なのに、なぜ自分の価値とか求めちゃってんですか。もっと現実見ないと」



 どうだろう。この「リスキリング」の内実を穿ってみせたセリフなど、風俗嬢にかぎらず、たとえばIT業界で酷使されているSE(システム・エンジニア)が口してもおかしくないものではなかろうか?



 最も異彩を放っているのがマヒル(恒松祐里)だ。彼女は高校生のときに「ヤリマン」を自覚し、母親の愛人と交わってバイト代を受け取って以来、つねに満面の笑みをたたえつつ、相手の男を選ばずセックスする人生を送ってきた。カネさえくれるならいい、そして、うんとカネができたら小学校の用務員のおじさんのようになんでもしてくれる他人の人生を買って、自分のなかに溜まったゴミを燃やしてもらうのだ、と――。これ以上ないくらいユニークな「リスキリング」の目論見。そんな姉のマヒルを「気持ち悪い」と罵りながら、カネをせびりにやってくる妹の和代(モトーラ世理奈)との対話を以下に抜粋しよう。ビルの屋上で、妹がタバコに百円ライターで火をつけたところから。



姉「あーあ、それがドカンとなって燃えないかな、東京」

妹「東京燃えたら、お姉ちゃんも死ぬよ」

姉「死なないよ、そしたら逃げるもん」

妹「どうやって? 電車止まってんのに」

姉「いや、わかんないけど」

妹「もし動いてたとしても、ぎゅうぎゅう詰めの山手線でずっとぐるぐるしっぱなし。同じ方向に進むしかなくて、結局どこにも行けず死んでくんだよ」

姉「いいじゃん、逃げるんだから。私が逃げるって言ってるんだから。私は死んで死なないの」

妹「もっと、ふつうに痛がってもいいんじゃない?」〔中略〕

姉「これが私なの。私は私のなかにゴミを詰め込んで、ちゃんとバランス取ってんだから。そうやって生きてんだから。それの何が悪いって言うの?」

妹「ご愁傷さま」



 いやはや、凄まじい。一見他愛のないやりとりでありながら、そこには生と死をめぐる容赦ない弁証法が渦巻いているではないか。あたかも『カラマーゾフの兄弟』のイワンとアリョーシャの対話を眺めるようで、わたしはぞくぞくと背筋が震えてくるのを覚えた。個々の人間にとって人生を再設計する「リスキリング」の根っこには、スローガンや予算措置などではなく、こうした観念の鍔迫りあいが横たわっているのに違いない。政財界の表舞台の人々には関心の外にあるらしい現実を、このタイトルを拒絶した映画はわれわれの前にあからさまに炙りだしてみせたのだと思う。 

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍