中国人として中国を学ぼう
辺縁人 スペシャル「私のリスキリング」
黄 文葦
私は日本に来てから長い間、日本を知ることに専念し、中国の存在をおろそかにしていた。というか、中国を念頭に置く余地がなかった。20数年間の中、かつて最長で3年間、中国に帰らずに過ごしていた。
2015年、たまたまある高校の同級生とSNSでつながった。彼は、「90年代に来日したとき、銀座に立って日本をうらやんだが、今また銀座に立って、もう上海にはかなわないと感じている」、と言ってくれた。 その同級生の言葉に驚いた。中国人はこんなに自信になったのか、中国は本当にこんなに早く発展しているのだろうか。私は疑問を抱いていた。
因みに、その同級生は、日本と中国の間を行き来し、日本にある中国の古美術品を買収し、中国に持ち帰り高値で売るという仕事をしている。このような仕事を十年間続けたことで、億万長者になった。そんなビジネスもあったのか、正直言って隔世の感を覚えた。
突然、中国が私の知っていた中国でなくなり、世界が変わってしまったと悟った。それから、離れている中国を学ぼうと決意した。そこで、私が中国を離れている間に中国で生まれた新しいポップミュージック、新しいアーティスト、新しい商品、新しいライフスタイルを探し始めた。中国のアイドルたちが日本や韓国のアイドルと外見や話し方がますます似てきたのは面白い発見で、一種のグローバリゼーションかもしれないね。
そして、中国には年に1、2回戻る。故郷福建省だけでなく、上海や天津・香港などにも訪れる。毎回帰ると、いつもと違う新鮮な発見を見つけるわけである。自分が中国で外国人、観光客になってしまったと苦笑するしかなかった。そして、中国にいる日本人の方が、私より中国のことをよく知っていると感服せずにいられない。
しかし、周りの人またSNS友達の日本人から見ると、私は中国人だから今の中国を知っていて当然ということになり、それは仕方がない。彼らから見ると、中国人はお湯を飲んだり、中華料理を食べたりするのは当然だろう。だから、私は冷たい水を飲むのに慣れていて、普段中華料理もあまり食べないと日本人に言ったら、変に思われたようだ。もし、私が中国について学んでいると言ったら、もっと驚かれるかもしれないね。
コロナが猛威の最中、本格的に「中国を学ぼう」をスタートした。2020年、緊急事態宣言の中、時間の余裕ができたので、思いっきり念願の日中比較のメルマガを発行。コロナ以来、世の中の大勢の人間には、生き方が一つ増えた。それはオンラインであること。私は、中国を対象としてオンラインでテーマ探しと取材が日課になっている。メルマガを作ることは、自分にとって、「中国を学ぼう」が常態化することにイコール。
メルマガを制作する過程で、だんだんと自分の興味のある新しい専門知識が見つかってきた。例えば、文化資源という分野に興味を持ち始めた。中国と日本の大学で、文化資源をどのように、教えられているのか、検証したくなる。中国のネット本屋にて、文化資源学に関する大学教科書を注文し、文化政策、文化市場、文化経営など専門知識を独学で勉強する。そして、日本の文化資源学と比較する。日中関係の中、文化資源がどんな役割を果たせるのか、それを検証することを楽しみにしている。例えば、日本と中国で共に愛されているパンダはある意味で一つの文化資源である。
中国のことを知れば知るほど、複雑になっていく。一部の日本人が思っているほど、中国人は裕福ではない。中国は、一部の日本人が思っているほど怖い国ではない…メルマガを通じて、中国の立体的な姿を伝えられればと思っている。
20数年間、日本を生きる私は、こころの中、自分の失われた中国の20年を取り戻そうとしている。「祖国と故郷を知る」、「中国人として中国を学ぼう」、それは私の一生のリスキリングになると思う。二重の人生を目指せ、それでも辺縁人の流儀である。
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