R・シュトラウス作曲『ツァラトゥストラはかく語りき』
ボタンのかけ違いが
もたらしたもの
470時限目◎音楽
堀間ロクなな
今日、『ツァラトゥストラはかく語りき』と言ったら、パイプオルガンの重低音を従えてトランペットが高らかに鳴りわたる瞬間芸のような音楽が真っ先に思い浮かぶだろう。こうしたクラシック界のヒットナンバーが出現したのは、150年にわたってボタンのかけ違いが積み重なった結果に他ならない。
発端は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェが40歳間近にして、17歳年下のロシア女性、ルー・ザロメの魔性の魅力の虜になったことにはじまる。周囲の反対を押し切ってプロポーズしたもののあっさり振られて、やみがたい失意を癒すためにイタリア旅行へ出かけたところが、突如、雷に打たれたごとく「永劫回帰」や「超人」の思想がやってきて、わずか10日間で『ツァラトゥストラはかく語りき』の第一部を書き上げる。1883年のことだ。その後も霊感に導かれるまま順調に書き継いでいき、2年後に晴れて全四部作として完成した。
ニーチェ本人によれば、ゲーテやシェイクスピアもおよばないほどの深遠な真理を解き明かしたこの著作は、およそ世間から一顧だにされず、最終の第四部に至っては40冊の自費出版に終わったという。こうしたで成り行きがのちの精神疾患の一因にもなったと見られるだけに同情しないではいられないにせよ、しかし、すでにカール・マルクスが『資本論』を発表していた時代において、人類の新たな未来を切り開くべき哲学を説くのに、古代ペルシャの宗教の開祖ゾロアスター(ツァラトゥストラ)を語り手に持ちだしてくること自体、ふつうに考えて無理があったのではないだろうか。
あるいはこのまま奇書のたぐいとして終わりかねなかったところ、思いがけない救世主が現れる。新進作曲家のリヒャルト・シュトラウスだ。まだニーチェは存命中とはいえ、すでに狂気の闇のなかに閉ざされていた1896年、この著作を素材として大がかりな交響詩を書き上げたのだ。ただし、シュトラウスが果たしてそこに深遠な哲学を見ていたかどうかは疑わしい。と言うのも、当時、ロマン派音楽の新潮流だった標題のある交響詩を盛んに手がけていたかれは、この作品の直前にはドイツの伝説の奇人を主人公にした『ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら』(1895年)を、直後にはスペインのあまりにも名高い主従コンビを描いた『ドン・キホーテ』(1897年)をつくっているからだ。つまり、作曲家にとっては『ツァラトゥストラはかく語りき』も、異郷の宗教家をめぐる説話と受け止めてのことだったのではないか。
作品は、導入部と「背面世界論者」「大いなる憧れ」「喜悦と情熱」「墓の歌」「精確な知識」「快癒しつつある者」「舞踏の歌」「夜の彷徨者の歌(酔歌)」のパートがひとつながりになっているが、シュトラウスの盟友だったクレメンス・クラウス指揮のウィーン・フィルのモノラル録音(1952年)には、ユーモラスだったりエロティックだったり、おしゃべりに興じるような楽しさがある。とくにクライマックスの「舞踏の歌」では、ツァラトゥストラのこんなセリフに合わせて陽気なワルツが奏でられるのだ。
「おお、生よ、おまえの目に、さきごろわたしは見入った。そしてわたしは底知れぬ深みのなかへ沈んでゆくような気がした。/しかしおまえは金の釣り針でわたしを引き上げた。わたしがおまえを底知れぬものと言うと、おまえは嘲笑の笑い声をあげた」(手塚富雄訳)
ところが、同じオーケストラをヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮したステレオ録音(1959年)では、ソ連が初の人工衛星スプートニクを打ち上げた時代にふさわしく、スペクタキュラーな音響の大伽藍を聳え立たせた。その導入部をスタンリー・キューブリック監督がSF映画『2001年宇宙の旅』(1968年)のBGMに採用して、人類の祖先が道具を手に殺戮をはじめ、その道具がロケットとなって宇宙に飛び立ち、ついに「スターチャイルド」へと進化を遂げるという壮大なビジョンのテーマ音楽として世界じゅうに轟きわたった。かくて『ツァラトゥストラはかく語りき』と言ったら真っ先に、ニーチェの著作から離れ、シュトラウスの本来の交響詩からも離れて、この1分半ほどのファンファーレめいた曲を指す次第となったのである。なんと言うボタンのかけ違いの連鎖!
もっとも、ボタンのかけ違いの最たるものは、ニーチェが着想を得てからすでに150年の歳月が経過した今日、われわれ人類がいまだに「超人」や「スターチャイルド」に進化することなく、地球上で相変わらず無益な流血を繰り広げていることかもしれない。
0コメント