人生後半に向け 自分なりの羅針盤を求めて
堀間ロクなな
そのとき、人生の航路からそれたのかもしれない。会社から突然、配置転換を告げられたのだ。入社以来20年あまり、まったく畑違いの部署への異動は想定外の事態だった。つねに気が立ち、仕事帰りにあおる酒量が増えていき、ともすると荒んだ言動におよぶのを自分でもどうしようもないうちに、妻から離婚を申し渡された。50歳を目の前にしてのことだった。
羅針盤を失った船にでも譬えたらいいだろうか。昼は相変わらず不慣れな仕事に汲々とし、夜は単身者用のアパートでひとり酒瓶を空にしている。つくづく、自分がこれまでひとさまに依存してきたのを思い知らされた。当たり前のように受け止めていた職場や妻という存在が失われたとたん、どちらを向いて何を生き甲斐に過ごせばいいのか、わからなくなってしまった。こんなことではいけない……。アルコールの回った頭で考えた。だれにも依存せず、前を向いて生きていくための航路をふたたび見つけなければならない、と。
そこで、マージャンやゴルフのたぐいは一切やめた。テレビやネットに向き合うのは必要最小限とした。お酒も(多少は)控えるようにした。こうして手に入れた時間で、自分で選んだ本を読み、自分で選んだ音楽を聴き、自分で選んだ映画を観ることにした。それはいわば、人生後半に向けての自習時間だったろう。努力と呼ぶならそうかもしれないが、自由で楽しい努力だった。
以来ざっと10年の歳月を経たいま、では、ちゃんと航路が見つかったのか、と問われると心もとない。けれども、もしこうした経過がなければ知らないままだったろう、本や音楽や映画たちと出会うことができた。現在も出会いつつある。そのいくつかについてひとりよがりであっても、これから書きつづってみたい。忘れることのないように。それらはわたしにとって、かけがえのない羅針盤なのだから。
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