邦楽器とオーケストラを
対決させる発想はどこから？

557時限目◎音楽

堀間ロクなな

　風変わりなプログラムと言うべきだろう。1989年9月12日に当時の西ドイツのフランクフルトで、サイトウ・キネン・オーケストラが行ったコンサートだ。

　まず秋山和慶の指揮によってシューベルトの『交響曲第5番』（1816年）で幕を開け、ついで小澤征爾が指揮台にあがって武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』（1967年）、ブラームスの『交響曲第4番』（1885年）と進み、最後にアンコールとしてモーツァルトの『ディヴェルティメント ニ長調』（1772年）のメヌエットで結ばれるというもの。ことほどさように時代も様式もばらばらの曲が並んでいるのは、桐朋学園大学での小澤の恩師・斎藤秀雄の名を冠し、国内外の一流プレイヤーが集結したオーケストラの幅広い実力をアピールする目的からだったろう。

　このコンサートの模様はライヴ映像が残されていて、いかにも熱量にあふれた雰囲気を追体験することができるのだが、そのなかでもひときわ強烈なインパクトを放っているのは『ノヴェンバー・ステップス』だろう。武満が世界に飛翔するきっかけとなったこの曲については、小澤をはじめ複数の指揮者のレコードが出ていて、わたしも耳では知っていたものの、初めて演奏風景を目の当たりにしてその異様なありさまに意表を突かれた。

　ざっと説明してみよう。ステージの前面には雛飾りのような台がしつらえられ、右側では尺八の横山勝也が古式ゆかしい紋付袴をまとい、左側では琵琶の鶴田錦史が女性ながら男装のサングラス姿でたたずむ。小澤のタクトが一閃すると、ハープが水滴の一音を落としたのを弦楽器郡がさざなみへと広げたところに、尺八と琵琶が裂帛の気合で分け入り、以降、ふたつの邦楽器とオーケストラは調和することなく、たがいに駆け引きしたりぶつかりあったりしながら音響の波濤を聳えさせていく……。一体、これはなんなのだろう？　会場を埋め尽くした聴衆の顔つきにも戸惑った気配が見て取れるのだ。

　この曲の成立に小澤が深くかかわったことはよく知られている。邦楽の世界でも奇抜な組み合わせという尺八と琵琶のために、武満がつくった『蝕（エクリプス）』（1966年）の初演に立ち会って感銘を受けたかれは、これらをさらにオーケストラと組み合わせることを考えついて、かねて親交のあるアメリカの著名な指揮者バーンスタインにかけあい、ニューヨーク・フィル創立125周年記念の委嘱作として『ノヴェンバー・ステップス』が誕生する道を開いたのだった。それにしても、こうした邦楽器とオーケストラを対決させようとする発想はどこからきたのだろうか？

　1935年に満洲（現・中国東北部）の奉天で歯科医のもとに生まれた小澤は、当時、現地の関東軍に君臨していた板垣征四郎と石原莞爾の両者にちなんで征爾と名づけられた。こうした出生をめぐる機微はたとえ歴史が移り変わったとしても、音楽に譬えれば通奏低音のような形で人生の綾をなしていくものではないだろうか。「爾」の字をもらった石原は天才的な軍事思想家といわれ、その『世界最終戦争論』（1940年）と題した著作にはつぎの記述を見ることができる。

　「人類の歴史を、学問的ではありませんが、しろうと考えで考えて見ると、アジアの西部地方に起った人類の文明が東西両方に分かれて進み、数千年後に太平洋という世界最大の海を境にして今、顔を合わせたのです。この二つが最後の決勝戦をやる運命にあるのではないでしょうか。軍事的にも最も決勝戦争の困難なのは太平洋を挟んだ両集団であります。軍事的見地から言っても、恐らくこの二つの集団が準決勝に残るのではないかと私は考えます」

　石原によれば、古代ローマ帝国が支配して以来、紆余曲折を辿りつつ国家主義を発展させてきたヨーロッパ・アメリカ圏と、中国大陸に拠ってまったく異なる道筋で民族国家を形成してきた大日本帝国を盟主とするアジア圏の、双方の文明潮流が太平洋を挟んで激突したのちに世界の最終的統一に至るというのだ。迫りくる太平洋戦争の予感のもとで主張された大言壮語の当否はさておき、その戦いに日本が無残に敗れて世界との向きあい方をふたたび模索するときに、もはや軍事論とは切り離して、日本の音楽とヨーロッパ・アメリカの音楽をあえてぶつけることで文化的統一を果たそうとする発想がこの異形の作品につながったのではなかったか。

　1996年に65歳で世を去った武満と、今年（2024年）88歳で逝った小澤の、ふたりの世界的な音楽家のパートナーシップが世に送りだした最大の遺産こそ『ノヴェンバー・ステップス』だった。