小林秀雄 講演『文学の雑感』

「批評の神様」に

正しい禁煙の仕方を学ぶ


32時限目◎その他



堀間ロクなな


 小林秀雄の名を前にしたとたん、条件反射的に背筋が伸びるのはひとりわたしだけではあるまい。それは「批評の神様」と呼ばれた文学史上の偉大さよりも、われわれの年代にとっては、大学入試の現代文で最も出題率が高く、しかもその文章がちんぷんかんぷんなのに恐れをなした事情に由来する。そんな神様に思いがけず親しみを抱くようになったのは、『文学の雑感』というCDを聞いたからだ。



 これは1970年8月、当時68歳の小林が大学生を相手に講演した記録で、開口一番、禁煙の経験が語られる。ざっとこんな内容だ。



 小林はかねて胃の不調に悩み、主治医からそろそろ酒かタバコのいずれかをやめるよう命じられて、ただちに禁煙を決意する。そこで、タバコとライターをテーブルに置いたまま辞去しかけると、医師が玄関まで追いかけてきて「きみ、忘れ物だよ」と突き出した。「いや、わざと置いてきたのだ」と応じる小林に、相手は笑って「そんな根性じゃ、やめられないね。ちゃんとタバコを持ち、ライターも持ち、いつでも吸えるようにしてやめるのでなければ、タバコはやまないよ」と告げた。その言い分に大いに納得するところがあり、小林はこう続けている。



 「よし、じゃあ、やめてみせるからなと、タバコをもらって、ライターももらって。僕の嬶(かかあ)はタバコのみなんですよ。『オレはいまからやめるからな、お前は遠慮なしにいつでもスパスパ吸ってくれ。で、オレの前にもいつでも灰皿を用意しておけ!』――。そうして、僕はやめっちゃったんです。それから1本ものまない」



 べらんめえ調の江戸弁はまるで落語の名人の高座を聞いているよう。聴衆の学生たちも心おきなく笑い声をあげている。話題はこのあと、小林が執筆中の『本居宣長』へと移っていき、そこではヤマザクラ(ソメイヨシノではなく)を味わうことが宣長の言う大和心に通じると説く。つまり、タバコをやめるにしても、宣長の大和心を知るにしても、頭の上だけの理解ではなく、まずは自身の五感で受け止め、自身の身体をとおして向き合うことが肝心だと、小林は強調しているのだ。



 小林は太平洋戦争にあたり、1941年12月の宣戦の詔勅をラジオで聴いて「眼頭は熱し、心は静かであった。畏(おそれ)多い事ながら、僕は拝聴していて、比類のない美しさを感じた」(『三つの放送』)と書き、のちに、1945年8月の敗戦後には「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(雑誌『近代文学』の座談「コメディ・リテレール」)と発言して、リベラル派の知識人連中の顰蹙を買う。だが、重要なのは、小林が歴史の個々の状況のもとで頭の上の理解ではなく、つねに自身の身体をとおしての認識に立ってきたという、その一貫した態度ではなかったか。



 したがって、小林の批評は本来、大学入試の問題に使われるなどとは真反対のスタンスであって、本人もさぞや不本意だったに違いない。と、あえて断定するのは、ほかでもない、30年以上にわたり禁煙挫折歴を誇ってきたわたしが、この講演の発言を真に受けて、目の前にタバコとライターを置いて取り組んだところ禁煙に成功したという、当人には奇跡のごとき実績があればこそなのだ。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍