ベルイマン監督『野いちご』

過去の女たちが
夢に現れる理由とは


603時限目◎映画



堀間ロクなな


 このあいだの夢に、もう30年以上前に世を去った母親が出てきてぎょっとした。とくに何か口にするわけでもなく、ただ上目遣いでじっとこちらを見つめていた。また、はるか昔に恋仲だった女性が当時の姿かたちのまま現れて手と手を取りあったこともある。立て続けにそんな夢と出くわしたわたしは、そう言えば似たような情景をイングマール・ベルイマン監督の映画『野いちご』(1957年)で目撃したことを思い出した。



 スウェーデンの首都ストックホルムに暮らす78歳の医師、イーサク(ヴィクトル・シューストレム)が母校の大学の名誉博士号授与式に出席するため、およそ600キロの距離にある都市ルンドへ出かけることになった一日の物語。



 その日の明け方、イーサクは奇怪な夢を見る。時計の針がなくなった街をさまよううち、荷馬車が運んできた棺には自分の死体が横たわっていて……。目を覚ますなり、かれは計画していた飛行機での移動を取りやめ、遠路はるばる自家用車で向かうことにすると、息子の妻のマリアンヌ(イングリッド・チューリン)が同行を申し出た。出発して間もなく、イーサクが若かったころ夏には親族が集まって過ごしていたロッジの廃墟に寄ったところ、当時、かれの婚約者だった従妹のサーラ(ビビ・アンデショーン)が庭で野いちごを摘みながら、自分よりも野性的な弟に惹かれていく幻を眺めたあとで、そのサーラが現実の少女となって目の前に立ち現れてふたりのボーイフレンドとともに車に同乗する運びに。



 当初はおたがいに突っ慳貪なやりとりをする間柄だったイーサクとマリアンヌも、サーラの賑やかな一行と過ごすうちに打ち解け、昼食のテーブルでボーイフレンドたちが神の存在に関して口論をはじめると、両者で祖国の詩人ヴァリーンの詩句をそらんじたりするのだった。



 至るところに神のしるしがある

 かぐわしい花の香り そよぐ風

 溜め息も 吸う空気も 神の恵みだ

 夏のそよ風に声がする



 このあと、イーサクはマリアンヌと連れだってひとりで暮らしている100歳近い母親のもとを訪ねると、彼女はさんざん憎まれ口を叩いたあげく、その手が寄越した父親の形見の金時計には針がなかった、あの夢のできごとと同じように……。さらにそのあと、車の運転をマリアンヌに任せ、後部座席のサーラらのおしゃべりを聞き流しながら、イーサクは睡魔に襲われると、死別して久しい妻が林のなかで見知らぬ男と密会していた光景を目の当たりにして……。ことほどさように、どこまでか夢か、どこからが現実か、その境界がまるで曖昧模糊としたドラマは何を伝えようとしているのだろう?



 精神分析学者ジークムント・フロイトは論文『小箱選びのモチーフ』(1913年)のなかで、シェイクスピアの『リア王』の老いたる父親と三人姉妹の関係について、こんなふうに論じている。



 「リア王はたんなる老人ではなくて、死にかけている人間でもある。〔中略〕しかし、死の手に落ちかかっているこの老人は、女の愛を断念しようとはしないのである。彼は自分がどんなに愛されているかを聞きたがる」(高橋義孝訳)



 フロイトの言説にしたがうなら、イーサクが死を予感しつつ夢現(ゆめうつつ)のあわいを辿っていった旅の道筋は、みずからの過去を心静かに観照するといったものではなく、もっとやむにやまれぬ衝動に突き動かされてのことであったらしい。さらに、そこにはこうした事態が待ち受けていたようだ。



 「こういうこともできるであろう、ここに描かれている三人の女たちは、生む女、性的対象としての女、破壊者としての女であって、それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係なのだと。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であるということもできよう。すなわち、母それ自身と、男が母の像を標準にして選ぶ愛人と、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地である。〔中略〕しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神のみが彼をその腕に迎え入れるであろう」



 ここに示された女性の三つの形態は、イーサクの場合、いまなおしぶとく生き続ける老母、元婚約者と陽気な少女のふたつの顔を持つサーラ、沈黙が似合う義理の娘のマリアンヌにぴったり重なりあうだろう。なるほど、映画のラストシーンでは、大学の名誉博士号授与式で無事に人生の栄誉に浴して、ようやく長い一日が終わろうとするとき、ベッドに横たわったイーサクは運命の女たちの三人目、マリアンヌとそっと愛を囁きあい接吻を交わしてから満足げに目を閉じて、ふたたび夢の世界に立ち返るのだった。あたかも二度と現実の世界に戻ることはないかのように。



 わたしが最近見るようになった夢もまた、わが人生を総括するために運命の女たちを選びだすプロセスがはじまったことを意味しているのかもしれない。果たして、これからどのようにドラマが展開していくのか、自分にとっての「沈黙の死の女神」とはだれなのか、その成り行きが楽しみなような、恐ろしいような……。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍