マイケル・ジャクソン歌唱『スリラー』

われわれは
すべて怪物である


608時限目◎音楽



堀間ロクなな


 このあいだカーラジオからマイケル・ジャクソンの『スリラー』が流れてきて、久しぶりに聴いていたら胸を衝かれてしまった。あのサビの個所ではつい熱いものが込み上げてきて視界が曇ってしまい、慌ててブレーキを踏んだくらいだ。



 You know it`s thriller, thriller night

 You`re fighting for your life inside a killer, thriller tonight



 かくして、つくづく傑作であることを噛みしめた。おかしいだろうか? クインシー・ジョーンズのプロデュースにより、マイケルが1982年、24歳のときに発表したアルバム『スリラー』は約1億枚を売り上げたとされる史上最大のヒット作だから、そのタイトル曲についていまさら褒めるまでもないかもしれない。ただ、わたしはこれまで音楽としては素晴らしいものの、マイケルが特殊メイクでゾンビ・ダンスを披露するショートフィルムが一世を風靡したり、ステージでは狼男のかぶりものをつけてダンサーと入れ替わるといった演出がされたりして、どこか胡散臭げな印象を抱いていた。ところが、それがあさはかな判断だったことを理解したのだ。



 ひとはだれしも、あるとき自分のなかに得体の知れないものが棲んでいるのに気づく。いくら目をそむけようとしても冷たい魔手につかまれてしまう、その戦慄こそが「thriller night(ゾクゾクする夜)」の内実なのだ。



 マイケルは唯一の自伝『ムーンウォーク』(1988年)のなかで、同じアルバムに収録された『ビート・イット』や『ビリー・ジーン』については縷々語っていながら、かれの代名詞ともいうべき『スリラー』の楽曲には口をつぐみ、もっぱらショートフィルム制作の話題のみに終始している。それはおそらく、この作品がオカルト的な風潮を助長しかねないと批判されて、信仰心の篤いかれはいったん封印さえも考えたという事情があってのことだろう。その代わり、『スリラー』の大成功がみずからにもたらした状況をめぐって、こんな思いを率直に吐露している。



 「『スリラー』がブームになったおかげで生じた副作用は、絶えず公衆の目にさらされるという現象でした。僕はこれにはうんざりしてしまいました。そのせいで、僕は今までよりひっそりと、人目を避けた生活を送っていくことを決心したのです。依然として僕は自分の容姿に自信がもてません。僕はチャイルド・スターで、変化が起きることも、歳をとることも、見た目が変わることも許されないような監視のもとで育ってきたわけですからね。初めて有名になった時、僕は幼児特有の、脂肪がたくさんついていて、まんまるでポチャポチャした顔をしていました。その丸みがとれたのは、数年前に食事内容を変えて、脂肪のもとになるような食品だけでなく、牛肉、鶏肉、豚肉、魚の摂取をやめてからです。僕は、恰好よく見えるように、楽しく生きていけるように、そしてもっと健康的になりたかっただけでした」(田中康夫訳)



 いっさい見栄やハッタリのない言葉からは、かえって痛切な響きが聞き取れるだろう。こうした外見と内面の葛藤に関連して、当時、スキャンダラスに報道されていた美容整形の疑惑についてもつぎのように述べる。



 「体重が減るにつれて、徐々に僕の顔は今のようになっていったのですが、形成美容で容貌を変えたと、マスコミは僕を非難し始めたのです。〔中略〕僕は頬や目は手術していません。唇を薄くしたり、皮膚をこすってはがしたり、むいたりもしていません。そんなことをするなんて、馬鹿げています。もし、それが事実なら、僕はそう言うでしょう。しかし、事実ではないのです。鼻は二回手術しましたし、最近、あごに割れ目をいれました。でも、それでおしまいです。もう言うことはありません。他人が何と言おうと僕は気にしません。これが僕の顔です」



 いまや「キング・オブ・ポップ」のスーパースターの座を手中に収めようとしていたマイケルもまた、自己のなかに得体の知れないものが存在して、とうてい手なずけられず、ひとりで懸命に格闘するありさまがここには生々しく語られているのだ。だからこそ、かれがうたう『スリラー』は真実の声となって、世界じゅうの人々の琴線をかき鳴らしたのではなかったか。この途方もない現実を前にして。



 そう、われわれはすべて怪物である、と――。



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍