毎年の「初泣」は箱根駅伝のためである

                                                                                                                               黄 文葦

 大人になってから、めったに泣かない。ところが、毎年の年始の風物詩である箱根駅伝には思わず感動し、涙を流すのだ。まさに、毎年の「初泣」は箱根駅伝のためである。


 初詣、新年一般参賀、箱根駅伝、日本人の新年三大集団行動だと思う。私はなぜか、箱根駅伝に最も愛着をもっている。毎年、必ずテレビであるいは現場で観戦する。自分の母校が箱根駅伝の強豪校であることも原因の一つだと思う。つい今年初優勝を果たし、歓喜の涙が溢れた…


 箱根駅伝の中の男子たちの顔が好きだ。純粋かつ真剣で意志力をみせる。ただただ一生懸命走る。辛い時でも我慢強く、ときには走りながらも余裕な笑顔を見せる。その中、勿論、優勝を目指すゴールイン選手の笑顔が一番輝いている。テレビの解説者はよく一人ひとり選手の背景情報を集まっている。家族の物語とか、選手のエピソードとか、何もかも感動させられる話ばかりである。


 走り終えた選手は、体がどんな辛くても、観衆に一礼する。その光景を見ると、涙が出る。日本の好青年が箱根駅伝に集まっているといっても過言ではない。正直言って、普段、マスコミよる日本の若者のイメージは大体「やる気なし」ではないか。


 現場で観戦する場合は、いつも熱狂的な「頑張れ」の雰囲気に圧倒され、目に涙を浮かぶ人が少なくない。


   箱根駅伝で個の力と集団の力が完璧に合わせる。各チーム出場選手10人が、22チームで220人、仲間との信頼関係を築かなければならない。チームの走り戦略を取らなければならない。全体的な順位が大事だが、個人の魅力を語る区間賞も注目される。集団の土台で個の力を発揮させ、まさに日本社会の縮図だと思われる。


   かつて終点の大手町で、あるチーム選手たちの号泣を目にし、もらい泣きをした。目標通りの成績にならなかったから、皆が悔しくてたまらない様子。本来は「尽力した」、「しょうがない」とか、自身を慰めればいいのに、選手たちが自分に厳しそうであった。


 箱根駅伝ではどんな大学でも自らの性格と精神力を持つことがわかった。名門大学かどうかは関係なく力強い若者を育てることに尽力している。箱根駅伝を観て、憧れの選手の大学に入学したいと思う少年少女もいるだろう。


 選手たちは箱根駅伝で頑張った思いを胸にそれぞれこの先の人生へとつながるはずである。選手の出身大学だけではなく、出身高校も公表されている。選手たちが高校時代からすでに走りに「愛着形成」し、箱根駅伝で選手たちの活躍ぶりは出身高校にとっても誇りだろう。


 因みに、近年、箱根駅伝に外国人留学生を登用するについて、賛否両論である。反対意見は主に箱根駅伝が日本の伝統文化なので、純粋に日本人のみでいいという。たまに箱根駅伝で走る外国人留学生を見かけるが、留学生の肌の色が日本人選手と違っても、日本人選手と同じ真剣な「顔」をしていた。同じく礼儀正しさも持っている。駅伝の伝統文化がもうはや彼らの体に染み込んでいるではないか。箱根駅伝を愛する外国人が、きっと日本をも愛すると信じる。


 最後にちょっと自分のことを話そう。2000年、私は留学生として東海大学日本語別科に入学した。日本の大学のきれいなキャンパスを初めで体験し、魅了された。晴れる日、富士山がそばにあるようにはっきり見える。自分にはあんまりスポーツが得意ではないのが、スポーツを観戦するのは好きである。夕暮れ時、大学の広大なグランドで一生懸命に投球する選手と走る選手を見ると、いつも一種の感動を覚える。人間がスポーツをする時、とてつもなく精神力を持ち、スポーツがこんなに人に楽しみと幸福感を与えていることを悟った。因みに、私は大学院の課程を勉強する際、オリンピックの金メダルリストの柔道選手と同じ研究室で同じ指導教授の下で勉強したことがある。


 今年、箱根駅伝を初優勝しても、母校の関係者がマスコミと世間に調子を乗ることもなく、淡々と「速さを強さへ」を語られている。そういうところが気に入る。


 私は、箱根駅伝を愛し続けていく。箱根駅伝から日本の若者・大学・教育・スポーツ・日本人の精神を読み解こう。毎年、箱根駅伝のための「初泣」、すっきりした気分で新しい年を出発しよう。

2003年、大学の広大なグランドにいる私。

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍