ピアフ歌唱『アコーディオン弾き』
止めて! 音楽を止めて…
その凄まじい感情移入には言葉を失う
35時限目◎音楽
堀間ロクなな
大竹しのぶ主演の舞台『ピアフ』を観た。2011年以来4度目の公演だそうで、わたしが出かけたのは平日の昼の部(東京・日比谷シアタークリエ)だったにもかかわらず、満員御礼の盛況。「シャンソンの女王」エディット・ピアフの47年の人生を、大竹はそれをはるかに超える61歳にして全2幕約2時間半、ステージに出ずっぱりで再現してみせた。
われ知らず熱いものが込み上げたのは、第1幕の半ばで『アコーディオン弾き』がうたわれたときだった。これは1939年にミッシェル・エメールが作詞・作曲し、第二次世界大戦で出征するにあたり強引にピアフのもとへ持ち込んで、大ヒットした伝説的な作品だ。
場末のダンスホールでアコーディンを弾く男と、夜な夜なそのジャヴァに耳を傾ける娼婦。男は兵隊に取られることになり、帰ってきたらふたりで店を持とうと夢を語りあったのも空しく、やがて男の戦死が伝えられる。娼婦が安キャバレーへ足を向けると、別の男がアコーディオンを弾いており、そのジャヴァに合わせて、すべてを忘れるために、女は踊りはじめ、回りはじめ、ついに叫ぶ。
Arrêtez! Arrêtez la musique...
(止めて! 音楽を止めて…)
わたしが落涙したのは、大竹が日本語訳でうたったこの歌に重なって、ピアフ本人の歌唱がまざまざと耳に蘇ったからだ。口幅ったい言い方ではあるけれど、このシャンソンはゾラやモーパッサンの短篇にも匹敵し、「電話帳を読んでも感動させる」といわれたピアフがもしここでうたったなら、そのわずか4分足らずのドラマは、2時間半の舞台を凌駕してしまうだろう。
ピアフによる『アコーディオン弾き』の歌唱はいくつも録音が残されているが、わたしが知るかぎり最も心揺さぶられるのは、1956年にパリのオランピア劇場で(恐らくリサイタルの結びに)うたわれたものだ。不倫相手のプロボクサー、マルセル・セルダンが飛行機事故で死を遂げたあと、4年間にわたって麻薬に溺れ、再起不能とも囁かれたピアフが懸命に中毒を克服して、新たな決意でステージに立った時期の記録であり、その凄まじい感情移入の絶唱には言葉を失う。
のちに最後の病床にあって、ピアフは口述筆記による自伝を残した。そこでは生涯を通じての男性遍歴が赤裸々に語られ、あたかも死を前にしての懺悔のようだ。そのうえで、こう述懐している。「私のシャンソン! 私がうたうシャンソンについて、どんな風にお話ししたらいいのかよくわかりません。男たちは私がどんなに愛そうと……要するに、彼らは他人にすぎませんでした。歌は私にとって、自分自身であり、自分の肉体であり、血であり精神であり、心であり、魂なのです」(中井多津夫訳)。
ピアフが逝って55年。わたしは『アコーディオン弾き』に、その「血であり精神であり」の極北を聴く。
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