三船敏郎&石原裕次郎 主演『黒部の太陽』
日本列島という
怪物との戦いの記録
631時限目◎映画
堀間ロクなな
日本における最大の土木工事といったら「黒四(黒部第四)ダム」の建設だろう。関西電力が施主となり、1956年(昭和31年)から7年の歳月をかけて富山県の黒部川流域につくられた、総貯水量2億立方メートル、堰堤の長さ492メートル、高さ186メートルの水力発電用ダムで、総工費は約513億円にのぼった。その規模や費用の面では上まわる土木工事がいくつもあるのだろうが、太平洋戦争に敗北して10年が経ち、復興から経済成長へと大きく飛躍したシンボルという意味で、また、プロジェクトの運営責任者からのべ1000万人を数えた現場作業員に至るまで、ほぼすべてが日本国民の手によって成し遂げられたという意味でも空前にして絶後の土木工事であったに違いない。
わたしが小学生だったころ、社会科の教科書では「黒四ダム」について特筆大書され、その名称をテストでしばしば書かされたことを記憶している。大手映画会社の五社協定を打ち破って、三船敏郎(三船プロダクション)と石原裕次郎(石原プロモーション)が製作・主演にあたり、名優たちがずらりと顔を揃えた熊井啓監督『黒部の太陽』(1968年)も、そうした当時の高揚感のもとでこそ成り立ったものだろう。
冒頭に「この映画は敗戦の焼あとから国土を復興し文明をきずいてゆく日本人たちの勇気の記録である」との言葉を掲げてはじまった物語は、関西電力社長の命令により大工事を監督する立場となった北川覚(三船)の家に現場作業の関係者が集まって杯を交わす場面へと進んでいく。そこには、土木会社社長で老練なトンネル掘りの岩岡源三(辰巳柳太郎)もいたところ、息子の設計技師・岩岡剛(石原)がやってきて、この仕事はあまりにも無謀だとして手元の割り箸をへし折って声高に言い放つ。
「こんなふうに日本列島は新潟県の糸魚川と静岡市を結ぶあたりで折れ曲がっているでしょう。この折れ曲がった部分がフォッサマグナ、つまり大きな断層帯です。日本の地質構造はこの線を境界として東と西がガラッと違っていて、この線とほぼ並行している黒部川流域地帯はどんな大きな断層や破砕帯がひそんでいるかわからない。まともに破砕帯にぶつかったら1メートルも1センチも掘れないですよ」
いまあらためてこのセリフに接して、背筋のこわばるような感覚を味わうのはわたしだけではないはずだ。われわれの心底にはどこかで、『古事記』の国生み説話が伝えるとおり日本列島は神々とつながって四季の恵みを国民にもたらすといった思いがあるのに対して、この映画は真っ向から対立する見解を突きつける。日本列島はグロテスクな構造を持ち、「黒四ダム」の建設とはそんなゴジラも尻尾を巻いて逃げだしかねないほどの怪物との戦いを意味したのだ。果たして、黒四建設事務所次長に就いた北川覚と、皮肉にも父親に代わって現場の最前線に立つことになった岩岡剛に、その恐るべき相手は牙を剥いて襲いかかってきた。
最大の難関は、ダムの建造に必要な物資や人員を搬送する生命線ともいうべきトンネルの掘削だった。やがて破砕帯にぶちあたるとあいつぐ落盤と異常出水に阻まれて、映画ではセットの撮影とわかっていても、唸りをあげて押し寄せる大量の濁流から三船や石原も必死の形相で逃げ惑うありさまに息を呑む。いったんは工事中止までが取り沙汰されたものの、多数の犠牲者を出して、かろうじて約8か月ののちに破砕帯を乗り超えることができた。1958年(昭和33年)2月25日、山塊の双方から掘り進めてきたトンネルがついに繋がって貫通し、岩岡剛は天井の旗が黒部の風に揺れているのに気づくのだった。
「時よ止まれ、お前は美しい」
ゲーテが思想劇『ファウスト』を結ぶにあたり、豊かな国土を生みだすための土木工事の光景を前にして主人公に与えた有名なセリフは、この映画のフィナーレにもまさにふさわしいものだったろう。
いや、待てよ。ことによると、まだ決着はついていないのかもしれない。わたしはかつて北アルプス登山の途次に「黒四ダム」へ足をのばしたことがあり、バスでこの関西電力のトンネルを通ったとき、スピーカーから流れる音声ガイドが破砕帯の位置を教えてくれて、それは全長5.4キロのトンネルのうちほんの82.6メートルの範囲なのに、いまだに青黒く濡れて妖しい気配がわだかまっているのを目撃したのだ。あたかも怪物がふつふつと体液を滲ませながら、ふたたび牙を剥く日を待って雌伏しているかのように――。
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