スティーヴ・マックイーン主演『パピヨン』
マックイーンには
独房がよく似合った…
677時限目◎映画
堀間ロクなな
スティーヴ・マックイーンには独房がよく似合った。
そのことを初めて思い知らされたのは、テレビ放映の『大脱走』(ジョン・スタージェス監督 1963年)だ。ポール・ブリックヒルの体験記にもとづくこの映画は、第二次世界大戦下のドイツのスタラグ・ルフト北捕虜収容所で実行された連合軍捕虜による大規模な脱走事件をテーマにしたもので、マックイーンはしばしば脱走を試みては懲罰の独房に放り込まれて「独房王」の異名を持つアメリカ空軍将校を演じた。厳重な監視網をものともせず、自由を追い求めて邁進していく姿に、当時、中・高一貫の男子校に通っていたわたしはひときわ惹かれるところがあったのだと思う。
だからだろう、以後、マックイーンの主演映画がテレビ放映されるごとにブラウン管にかじりついて、拳銃使いのカウボーインや猪突猛進の刑事の役柄に目を見張りながらも、「独房王」の魅力にはおよばなかった。
それには、マックイーン本人の背景もあったのではないか。1930年にアメリカのインディアナポリスに生まれたかれは、幼いころ父親が失踪し、母親の再婚相手と折り合いが悪くて非行に走り、カリフォルニアの矯正施設へ送り込まれては脱走を繰り返すという少年期を送った。ついで、ドミニカ共和国のタンカーの船員、テキサスの油田人夫、カナダの森林伐採夫などを経て、アメリカ海兵隊に入ってからは精力的に活動する一方で反抗的な態度により営倉入りも経験したという。その後は、ラジオ・テレビの修理屋、タクシーの運転手、賭博の集金人、ボールペンのセールスマン、バーテンダー……といった職を転々としたのち、1951年に友人の勧めで演劇学校を受験して芸能界に飛び込むことに。
やがてテレビ・ドラマ『拳銃無宿』で知られるようになり、映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督 1960年)などでスターダムにのしあがって、『大脱走』の主演につながったという経歴を辿ると、なかなか社会に自己の居場所を見出すことができなかったかれにとって「独房王」は宿命的な役柄だったのだろう。実際、その表情には反骨精神と、絶えず孤独の影の宿っているのが見て取れるのだ。
そんなわたしの目の前に、待ちに待った新作が出現した。『パピヨン』(フランクリン・J・シャフナー監督 1973年)で、初めて映画館のスクリーンでマックイーンと対面するとともに、圧倒的な存在感に息をするのも忘れたほどである。この作品も実話にもとづくもので、フランス出身のアンリ・シャリエールの自伝を忠実に再現したという。胸に蝶の刺青があることで「パピヨン」と呼ばれた主人公は、金庫破りをなりわいとしていたところ、身に覚えのない殺人の罪で終身刑を宣告され、南アメリカのフランス領ギアナにあるサン・ローラン刑務所に収監される。そして、荒海と熱帯雨林が自然の防壁をなし、1年以内に囚人の半数が死ぬという過酷な環境のもとで、贋金つくりの親友ドガ(ダスティン・ホフマン)と協力しあって13年を生き抜いたうえ、ついに脱走を成功させるまでが描かれていく。
最大のクライマックスは、やはり独房をめぐるエピソードだろう。この刑務所では、1回目の脱走未遂で独房2年間、2回目で5年間、3回目はギロチンの処刑と定められていたものの、パピヨンがたじろぐはずもなく、たちまち最初の独房入りとなって、所長からつぎの言葉を浴びせられる。
「ここは社会復帰の場所ではない。われわれは肉の加工業者と同じだ。危険人物を無害にする。お前を破壊するのだ、肉体的にも精神的にも。脳を入れ替える。希望など捨てろ。あと自慰も控えるんだな、体力を消耗するから。以上だ」
かくて、みずからの肉体と精神を破壊されないためのあまりにも長い格闘がはじまる。コンクリートの壁と鉄格子の天井によって仕切られ、身動きもままならないほどの空間でひたすら歩きまわり、乏しい食事を補うためにゴキブリをむさぼり、濁った雨水をすすり……。あのとき、わたしは映画館の暗い客席でマックイーンの迫真の演技に背筋が強張り、自分にはとうていここまでの生命力がないと確信したことが、ついきのうの出来事のようによみがえってくる。
だが、それから半世紀を経たいま、あらためて見返してみたら、ティーンエイジャーのころには気に止めなかったシーンにもっと大きな衝撃を受けた。独房の漆黒の闇のなかで、かれはふいに幻覚に襲われる。おのれをこの境遇に陥れた裁判官たちと向きあって、無実を訴えると、中央の礼服をまとった裁判長が厳かに告げるのだ。
「そんなことはわかっている。いいか、お前の本当の罪は殺人などではない。もっと重い罪だ。それは自分の人生を無駄にした罪で、まさに死刑に値する」
人生を無駄にした罪――。もし、そんな罪があるとしたら、われわれのだれひとりとして免れられないのではないか? 果たして、「なるほど、おれが有罪であることを認めよう」と応じたときの、マックイーンの暗い眼差しとはにかんだような口元といったら! 世にも恐ろしい自問自答。こんな演技をやってのけた俳優が他に存在しないことを、わたしは断言できる。
この映画が制作された当時、かれはおそらく最も高額のギャランティを誇るスーパースターだったが、アカデミー賞の栄誉を手にすることはなかった(自他ともに認めるライヴァルだったポール・ニューマンは、名誉賞と主演男優賞の2度受賞した)。すなわち、ハリウッドはこの俳優への評価の仕方がわからなかったのであり、ことによると、本人自身、非行少年からはじまって数えきれないほどの身の上を流浪してきて、俳優の仕事にも安住の居場所を見出すことができないアウトサイダーでいたのかもしれない。だからこそ、スティーヴ・マックイーンには独房がよく似合った……。
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