黒澤 明 監督『羅生門』

そこに描かれた
「藪の中」が意味するものは?


681時限目◎映画



堀間ロクなな


 黒澤明監督の『羅生門』(1950年)については、公開時に必ずしも評価が高くなかったところ、翌年にヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞したことで一転して日本映画史上の至宝になったと語られるのがつねだ。今日の目ではそんな神棚に置くのが当然の傑作と思えるだけにむしろ、なんだってはじめは不評だったのか、わたしは興味が湧く。というのも、当時の評論家や観客だけでなく、他ならぬ黒澤監督本人までもつぎのような発言を残しているからだ。



 「受賞祝賀会のときにも僕は言ったのだけどね、日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった、その日本映画を外国に出してくれたのは外国人であった。これは反省する必要はないか、と思うのだな。〔中略〕『羅生門』も僕はそう立派な作品だとは思ってません。だけどあれはマグレ当りだなんて言われると、どうしてすぐそう卑屈な考え方をしなくちゃならないんだ、って気がするね」(『黒澤明、自作を語る』1970年)



 いかにも歯切れの悪い言葉はどうしたことだろう? その意味するところを探るためには、いったん『羅生門』を神棚の高みから降ろして虚心坦懐に見返してみる必要がありそうだ。



 周知のとおり、映画は芥川龍之介の平安時代を舞台にしたふたつの小説、『羅生門』(1915年)と『藪の中』(1921年)が原作となっている。ただし、双方は対等の関係ではない。『藪の中』のフェーズでは、若狭の侍・金沢武弘とその妻・真砂、盗賊の多襄丸が山科の街道から外れた藪のなかで刃傷沙汰を起こして、武弘の刺殺体が発見され、いまの警察にあたる検非違使庁の庭で三者が(死んだ武弘は巫女の口を借りて)それぞれことの顛末に関してまったく異なる陳述を行う。そして、『羅生門』のフェーズでは、こうした不可思議な事態に立ち会った杣売(そまうり)と旅法師が都のさびれた羅生門で雨宿りしながら、下人とのあいだに議論を繰り広げるという建てつけになっている。すなわち、ドラマの本体はあくまで『藪の中』であって『羅生門』は装飾に過ぎず、逆にいえば、『羅生門』の装飾によって『藪の中』の本体が包み隠されているとも見なせよう。



 さらに、『羅生門』と『藪の中』の関係をめぐっては重大な論点が存在する。『羅生門』のフェーズでは、秋の終わりを思わせる冷たい雨が打ちつけて、杣売、旅法師、下人は焚火で暖を取っているのに対して、『藪の中』のフェーズでは、ぎらぎらと照りつける太陽の光は夏の盛りのもので、武弘、真砂、多襄丸はおびただしい汗にまみれている。黒澤監督一流のデフォルメといってしまえばそれまでだが、とうてい同じ時間・空間の出来事とは思えないほどで、時間が固定されている以上、われわれは無意識のうちにも空間のほうを大幅に引き延ばして矛盾を解消しようとする心理の働く気がする。



 そこで留意したいのは、太平洋戦争後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領統治下にあって、メディアに対しては厳しい検閲が行われるという、敗戦国の現実のまっただなかからこの映画が誕生したということだ。つい先年まで極東軍事裁判が行われて、東京では東條英機以下のA級戦犯が死刑に処せられる一方で、横浜やマニラをはじめ世界49か所の軍事法廷では多数のBC級戦犯が被告となり、そこでは東南アジアや南洋群島などを舞台とする現地住民・敵国捕虜に対する虐待・殺害などの容疑がかけられ、まさしく『藪の中』の論議がと繰り広げられた。そう、あの検非違使庁の庭の光景さながらに。こうしたイメージが『羅生門』の観客を戸惑わせて不評に向かわせたり、黒澤監督の歯切れの悪いコメントをもたらしたりしたのではないだろうか。



 それは、日本国内にかぎった話ではないのかもしれない。映画プロデューサーの森岩雄は、この作品が黒澤監督の与り知らぬところでヴェネチア国際映画祭へ出品された際の現地の反響として、一部に「日本人は殺伐で、野蛮で、至極危険な国民である。それは『羅生門』にはっきりと出ている」という声があがったことを報告している(『私の芸術遍歴』1975年)。だとすれば、映画祭の審査にあたっては、太平洋戦争における日本人のおよそキリスト教世界の倫理観からかけ離れた行動原理をめぐって、この映画に驚くべき解析を見て取ったことがグランプリにつながった可能性もあるのではないか。



 そんなふうに考えると、作中で『羅生門』のフェーズと『藪の中』のフェーズを往還する唯一の登場人物、杣売がしきりに反芻するセリフの重みがあらためて伝わってくる。「わかんねえ、さっぱりわかんねえ」と――。



 いまわたしの目の前に興味深い一枚の写真がある。映画のおもだった出演者たち、左側から順に、加東大介、志村喬、三船敏郎、京マチ子、森雅之、上田吉二郎、千秋実の7人が横一列に並び、それぞれ本番の衣裳をまとってことさら大袈裟なポーズをつくってみせている。黒澤監督は俳優たちを早く役柄に馴染ませるため、撮影前にこうしたリハーサルをしばしば行ったという。ただし、わたしの興味を惹いたのはそのことではない。かれらのうち、加東大介は戦時中にニューギニア島へ送られて死線をさまよい、志村喬はみずから出征することはなかったものの実弟を南方戦線で失っている。また、三船敏郎は中国大陸の満州、千秋実は樺太の日ソ国境で軍隊体験を持つ。日本映画の金字塔、『羅生門』はそうした地平を出自とすることを忘れてはならないのだろう。 



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍