ディ・ステファノ歌唱『女心の歌』
麻薬のような
妖しさを含んだ甘い声で
682時限目◎音楽
堀間ロクなな
ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『リゴレット』(1851年初演)といわれてピンとこないひとでも、そのなかのアリア『女心の歌』はどこかで耳にしたことがあるに違いない。ヨーロッパから遠く離れた島国でも大正期の浅草オペラ以来、「風の中の 羽のように いつも変わる女心」の堀内敬三の訳詞によって広く人口に膾炙して今日に至っているからだ。
オペラ全3幕の内容をかいつまんで紹介しよう。舞台は16世紀の北イタリアの商業都市マントヴァ、若き領主の侯爵は手当たり次第に女をわがものとする遊蕩児だった。その宮廷に仕える「せむし」の道化師リゴレットには亡き妻が授けてくれた美しい娘ジルダがいて、世間から隠して大切に育ててきたものの、彼女は教会で出会った青年にひと目惚れしてしまう。変装した侯爵とも知らずに。その魔手によってジルダが処女を奪われると、リゴレットは怒り心頭に発して復讐を誓い、殺し屋に大枚を払って侯爵の暗殺を依頼するが、この期におよんでも思いを断ち切れないジルダはかれを救うために身代わりとなってみずからの生命を差しだすことに……。こうした陰惨きわまりない筋立てが、ヴェルディならではの華麗にして起伏に富んだ音楽に導かれて、あたかもギリシア悲劇のような壮大なドラマとして立ち現れてくるのだ。
くだんの『女心の歌』は、最終幕の冒頭でリゴレットとジルダが様子を窺っているとも知らずに、侯爵があっけらかんとうたってプレイボーイぶりを発揮するものだ。原詞どおりの日本語訳はこんな具合。永竹由幸訳。
風にふかれる羽のように女は変わりやすいものだ、
言葉も思いもすぐに変えてしまう。
いつも愛らしく愛嬌のあるあの顔で、
泣いたり笑ったりするのもみないつわりなのさ。
女を信じる者や女に注意しないで、
心を捧げる者は惨めなものさ。
だけど女の胸から愛を吸い取らない男には
本当の幸福なんてものは分からないのさ!
まことにもって身勝手な歌ではあるけれど、テノール歌手にとってはまさに真価を問われる難物の一曲といえるだろう。正面切って真面目にうたっては面白くもおかしくもないし、だからといって野放図にハメを外したらただの戯れ歌となりかねない。遊蕩児であっても貴族にふさわしい品位がなくてはならず、つまりは優雅さとドスケベさを両立させるという絶妙なコントラストが求められるのだ。
そうした意味で、わたしがこれまで耳にしたなかで最も魅了されたのはジュゼッペ・ディ・ステファノの歌唱だ。麻薬のような妖しさを含んだ甘い声で、ピアニッシモからフォルティッシモまでを滑らかに上下する歌いっぷりには、もしわたしが女だったら、たとえ騙されているとわかってしてもその胸に身を投げだしてしまうだろう……。
ディ・ステファノは1921年にイタリアのシチリア島に生まれた。ミラノのヴェルディ音楽院で学んだのち、第二次世界大戦に召集されたところが軍隊を脱走して、逃亡先のスイスで歌手としてラジオに出演したというから筋金入りなのだろう。戦後はミラノ・スカラ座やニューヨークのメトロポリタン歌劇場といった檜舞台に立ち、とりわけ1950年代以降は世紀の歌姫マリア・カラスとの公私にわたる(!)パートナーシップによって絶大な人気を博した。かれのマントヴァ侯爵役の録音は、1955年にトゥリオ・セラフィン指揮のミラノ・スカラ座で、そのマリア・カラスや演技派のバリトン歌手ティト・ゴッビと共演したもので、わたしにとってはいまだにこれを凌ぐ『リゴレット』のレコードは存在しない。
そんなディ・ステファノは典型的なイタリア人気質の持ち主だったらしい。歌手にとっては大敵のはずの煙草やアルコールを(もちろん女性も)こよなく愛して、「人生は短いから楽しまなくては。声を5年長持ちさせるためにレッスン室や劇場と家のあいだを往復するだけで生涯を終えるなんてまっぴらだ」と公言して憚らず、公演中にパーティやカジノで夜通し遊ぶこともしばしばだったとか。つまりは、こうした人生観のうえにしかっと足を踏みしめていたからこその『女心の歌』であったのだろう。
だが、好事魔多し。オペラの舞台の侯爵はジルダの自己犠牲によって生きのびてのうのうと享楽的な人生をまっとうしたようだが、現実のディ・ステファノは引退後に暮らしていた別荘で強盗に襲撃されて人事不省に陥り、3年あまりのいわゆる植物状態の歳月を過ごしたあと、2008年に86歳で人生を終えた。あたかも『リゴレット』という悲劇の真の幕切れかのように。
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