片渕須直 監督『この世界の片隅に』
結婚初夜の「傘一本」が
意味するものとは?
695時限目◎映画
堀間ロクなな
片渕須直監督のアニメーション映画『この世界の片隅に』(2016年)にわたしが心揺さぶられるのは多くの方々と同じだが、同時に、なぜこうまで心揺さぶられるのか、その理由を考えて戸惑うのも多くの方々と同じではないだろうか? この作品は表面上のひとなつこさに反して、ひと筋縄では済まされない問題提起を含んでいるように思えるのだ。
時代背景は、1933年(昭和8年)12月から1946年(昭和21年)1月までの、太平洋戦争の敗戦をはさんだ足かけ13年間。「ぼーっとした」性格ながら絵を画くのが得意な浦野すず(声:のん)は、広島市で生まれ育ち、18歳のときに見ず知らずの相手との縁談が持ち上がり、同じ県内の呉市に住む北條周作のもとへと嫁ぐ。こうして新生活がはじまったものの、国家非常時にあって衣食にも事欠く一方で、周囲には戦死者があいつぎ、日本海軍の拠点の呉市は連日の空襲にさらされて、すずも爆弾で右手を失ってしまい、さらには人類初の原爆投下によって実家の肉親たちも犠牲となり……。
こうやってストーリーの流れを追っていくと、いわゆる反戦映画の系譜につらなる作品のたたずまいが顕著で、確かにその一面もあるにせよ、わたしの目にはあくまで戦争は副次的なテーマで、すずにとってはみずからの日常生活を構成する所与の条件に過ぎなかったと見て取れる。だから、彼女は戦争に対してなんら積極的な意見を持たず、ましてや反戦的な思想などアタマに浮かびもしなかったろう。換言するなら、もっと奥深いところで現実と切り結んでいたのである。
その最も端的な例は、すずに縁談が持ち上がった際に、祖母がこのときのためにつくり直しておいた晴れ着を与えながら、そっと教え諭す場面に示されている。
「そんでのう、向こうの家で祝言をあげるじゃろ。その晩に婿さんが『傘を一本持ってきたか』とゆうてじゃ。そしたら、『新(にい)なのを一本持ってきました』ゆうんで。そんで、『さしてもええかいの』といわれたら、『どうぞ』ゆってか」
果たして、すずと周作の婚儀が行われた夜、ふたりだけで夜具のうえに向きあうと、どちらからともなく「傘一本」が口の端にのぼり、周作は手元に用意しておいた傘の柄で窓外の干し柿をたぐり寄せてふたりで食べる。映画ではこんなふうに描かれたが、もともとは当該地方で、夫が妻に初めての性交渉を受け入れさせる儀式だったようだ。それは、すずが新生活に踏みだすための通過儀礼の意味も持ったろうが、問題はこうした風習がどこから出てきたかという点だ。
日本民俗学の始祖、柳田國男は『婚姻の話』(1948年)のなかで出身地の兵庫県の事例を引いて、つぎのように述べている。
私などの故郷、中国の東部地方でも、幼時しばしばボウタといふ婚姻のあることを、微笑を以て語られるのを耳にしたことがある。ボウタの意味は子供には不明で、或は丸太棒で運ぶことかと想像して居たが、後に折口君の報告を郷土研究一ノ一二で見るに及んで、はっきりと其由来をさとることが出来た。ボウタは要するに「奪うた」であつた。親が承知をせぬのに其娘を斯うして連れて行くといふことを、公衆に向つて宣言する言葉だつたことは、長崎県下の所謂テンナイ人等も大よそは似たもので、しかも実際は不承知どころか、熟慮懇談の結果、ボウタでならば遣つてもよろしいと、親がさういふから連れて行つたものも多かつた。
つまり、古来、夫の側が妻を「奪う」というかたちの婚姻が行われてきて、そうした精神的な風土のもとで、初夜の場で夫が妻を性交渉にいざなう「傘一本」の儀式が生じたという推測が成り立つ。実際、映画のなかでは夫の周作がいつまでもすずに対して罪悪感を抱きつづけたり、あるいは、すずの幼馴染みの水原哲がやってきて彼女を連れ戻そうとしたり……といったエピソードが描写されるのだ。柳田によれば、こうしたボウタに類する形式は中国地方にかぎられず、したがって婚姻においてしばしば妻が疎外されてきたという社会状況は明治・大正・昭和のころまでは全国各地に偏在していたらしい。
『この世界の片隅に』を観てわれわれが心揺さぶられるのは、すずの健気な姿をとおして、歴史の底に沈殿してきた妻たちの哀しみの過去に触れるからに違いない。いや、それは本当に過去の話だろうか? このアニメーション映画が平成・令和の日本で多くの人々の共感を呼んだのは、もはや結婚相手との出会いもマッチング・アプリが主流になりつつあるというデジタル時代のいまでさえ、(たとえば選択的夫婦別姓の議論に窺えるとおり)ともすると婚姻において妻たちが疎外されがちな状況を反映しているのかもしれない。
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