プルタルコス著『英雄伝』

それは遠い過去の
遺物ではないらしい


700時限目◎本



堀間ロクなな


 紀元100年前後のローマ帝国に生きたギリシア出身の文人、プルタルコス(英語名:プルターク)の『英雄伝(対比列伝)』は、ギリシア時代とローマ時代の人物をひとりずつ22組のペアにして伝記を並べたうえで、双方を対比する論評を加えた著作だ(他にペアにならない四つの伝記あり)。それらのうち、最も人気が高いのはアレクサンドロス(アレクサンダー 紀元前336年~紀元前323年)とカエサル(シーザー 紀元前100年頃~紀元前44年)を組み合わせた巻だろう。



 プルタルコスもそれを見越していたらしく、アレクサンドロスの記述にあたって「私が書こうとしているのは歴史ではなく伝記であり、そして人の徳や不徳というのは、必ずしも広く世に聞こえた偉業の中に顕われるわけではなく、むしろちょっとした行動や言い草、あるいは冗談のようなものが〔中略〕いっそうはっきりと人の性格を浮き彫りにする場合がしばしばある」(城江良和訳)と、あえて『英雄伝』の趣旨を開陳している。また、カエサルの記述の冒頭部分が欠落し、両者を対比した論評も見当たらないのは、古来、ひときわ多くの人々の手がこの巻に触れてきたことを物語っているのではないだろうか。



 もとより、プルタルコスがアレクサンドロスとカエサルを並べて取り上げたのは、前者がマケドニア王としてユーラシア大陸に、後者がローマのガリア属州総督としてヨーロッパ大陸に、それぞれが古代世界を舞台として途方もない大遠征を繰り広げたことが理由だったろう。ただし、ともに軍事的な天才だったにせよ、両者の軍事に対する態度はまったく別のものだったことを『英雄伝』は明らかにしている。



 アレクサンドロスにとって大遠征は天命のようなもので、したがって軍事が人生の目的であり、政治はそのための手段に過ぎなかった。だから、最大の宿敵たるペルシア王のダレイオスをついに死に至らしめたときには、王にふさわしい威儀によって遺骸を丁重に取り扱い、それは相手への敬意と同時に、みずからを堂々と権威づける儀式でもあったのに違いない。祖国を離れて12年間にわたって戦いに明け暮れ、未知の土地で過ごしてきたかれの姿について、プルタルコスはこのように描写している。



 アレクサンドロスは初めて夷狄風の衣装に身を包んだ。異民族を手なずけるためには習慣をともにするのが肝要と心得て、現地の風習に同化しようという狙いだったのかもしれないし、あるいはこれはマケドニア人に跪拝礼を受け容れさせるためのひそかな試みであって、様式の変化と交代に耐えられるよう、人々を少しずつ慣らしていこうと考えたのかもしれない。〔中略〕実際、アレクサンドロスは過去の数々の戦傷に加え、最近では脛に矢を受け、その衝撃で脛骨が折れてはみ出ていたし、さらには首に石弾を当てられ、そのせいで視界が霞んで長い間晴れないでいた。



 こうしてみると、アレクサンドロスが異国の地で突如高熱を発して、志なかばで32年の人生を終えたのも、自己の生命力をすべて使い果たしたうえでの自死と呼べるものだったのかもしれない。



 一方で、カエサルの場合はまったく様相を異にする。かれにとってはあくまで政治が目的で、軍事はそのための手段だった。だから、ガリア戦争にひとまず区切りがついたのち、政敵のポンペイユスとの関係が決裂するなり、ただちに「ルビコン川」を超えてローマへと取って返して内戦に突入して、あっけなく亡命したポンペイユスをエジプトまで追っていき、その傘下の兵士たちと戦うときには槍で顔を狙うように命じ、上流階級出身のかれらが自慢の美貌を傷つけられるのをいやがって顔をそむけると、それを背後からつぎつぎ刃にかけていったという。アレクサンドロスの戦いぶりとは正反対のありさまだが、ともあれ、こうして勝利を得て終身独裁官の座に登りつめたカエサルの生き方を、プルタルコスはこんなふうに要約してみせる。



 カエサルにとって偉業への願望と名誉への執着は、持って生まれた性分であるから、これまでの数多くの功績も、この人を苦労の成果をゆっくり味わうような境地にいざなうことはなく、むしろそれが将来のための自信の源となり火をつける材料となって、あたかも従来の名声は使いきってしまったかのように、いっそう大きな事業への野心と新たな名声への情熱を産みつけていった。カエサルの胸中にあったのは、他者に対する嫉妬ならぬ自身に対する嫉妬としか言いようがなく、いわば将来の事績が過去の事績を相手にして競い合っていたのである。



 いやはや、他者ならぬ自身に対する嫉妬とは! これが天性の政治的人間の心理機構なのだろうか? はるか後年のこと、イギリスの劇作家、シェイクスピアはトマス・ノースの英訳『英雄伝』にインスピレーションを受けて『ジュリアス・シーザー』(1599年)を書き上げた際、ブルータスらの手により元老院議事場での暗殺が行われる直前の場面で、60歳前後の独裁者にこんなセリフを与えている。河合祥一郎訳。



 俺は北極星のように不動だ。

 そのようにぶれることなく、動かぬ星は、

 空広しといえども、ほかにはない。〔中略〕

 この世に於いても同様で、さまざまな人間がいて、

 誰もが血と肉を備え、理性を有するが、

 その中でも、頑として自らの地位を守り、

 不動の立場を保てるのは

 一人しかいない、それがこの俺だ。



 わたしはこの発言がトランプ大統領やプーチン大統領、習近平国家主席の口から出たものであってもおかしくない気がするのだが……。どうやら、プルタルコスの『英雄伝』は遠い過去の遺物ではないらしい。


   

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍