デヴィッド・リーン監督『アラビアのロレンス』
そのとき大隈講堂の学生たちは
どっと笑い声をあげて…
701時限目◎映画
堀間ロクなな
デヴィッド・リーン監督の『アラビアのロレンス』(1962年)をわたしが初めて目にしたのは学生時分、早稲田大学の大隈講堂でのことだった。当時はビデオやネット配信などなかっただけにキャンパスでしばしば映画上映会が行われていたとはいえ、大隈講堂を会場とするのはさすがに珍しく、しかも千以上の座席が満員になったのはいっそう稀有なことで、映画史上の名作にふさわしい光景だった。そんな蒸し暑い人いきれのなかで、われわれは固唾を呑んで、このアラビア半島を舞台とする壮大な叙事詩に見入ったのである。
そして、いまでもはっきりと覚えている。その場面がスクリーンに映しだされたとたん、場内の学生たちからどっと笑い声があがったことを――。
第一次世界大戦下にあって、オスマン・トルコからの独立をめざす「アラブの反乱」の一翼を担ったイギリス陸軍将校、トマス・エドワード・ロレンスの数奇な足取りを追ったストーリーについてはいまさら紹介するまでもあるまい。もともと考古学者で異端の軍人だったロレンス(ピーター・オトゥール)は、カイロの司令部からアラビア半島へ派遣されてファイサル王子(アレック・ギネス)の軍事顧問となると、水を得た魚のように(実際、かれは砂漠とベドウィンを海洋と船乗りの関係に譬えた)溌剌と活動を展開する。
やがて、ロレンスはハリト族のアリ首長(オマー・シャリフ)とともに50名のラクダ部隊を率いて、オスマン・トルコが占拠する港湾都市アカバへの奇襲攻撃を仕掛けることに。それには、だれも試みたことのない広大な砂漠地帯の横断を必要としたが、最後の局面でひとりの兵が脱落したのに気づくなり、かれは周囲の制止を振り切って取って返し兵の救出を成功させる。その勇敢な行動を讃えて、アリ首長が真新しいアラビア服をプレゼントすると、さっそく身にまとって砂漠のただなかでひとりではしゃぎまわっていたところに、地元のハウェイタット族のアウダ首長(アンソニー・クイン)が現れて声をかけた。
“ What are you doing? ”
何をやっているんだ? そう、大隈講堂の学生たちが笑い声をあげたのは、まさにこのシーンだった。むろん、ロレンスの児戯めいた振る舞いのおかしさもあったろう。しかし、それだけではなかったと思う。われわれの小学校以来の学業の終わりが間近に迫り、これから慣れぬ背広を着込んで企業社会へ乗りだしていこうとする時期にあたって、ロレンスがイギリス軍の軍服を脱ぎ捨て、純白のアラビア服で躍りまわる姿に、自分が失いかけている自由のまぶしさを見て取って心和んだからではなかったか。
のちにロレンスは、アメリカの新聞の特派員記者から砂漠に魅せられた理由を問われて、ただひと言を返している。
“ It`s clean. ”
清潔。その答えに、われわれはだれしも羨望を覚えたはずだ。果たして、自分は実社会において清潔と呼べる世界に出会うことができるのだろうか、と。
しかし、映画は後半におよんで、そんなロレンスの思い込みが幻影であったことを無残に暴いていく。オスマン・トルコに対してゲリラ戦を重ねるうち、純白だったアラビア服が泥と血に汚れていくにつれて、かれもまた自分を見失って野蛮で残酷な殺戮者となり果てる。もはや勝利とも敗北ともつかない混沌の戦いの2年間が過ぎたころには、イギリスとフランスのあいだにサイクス・ピコ条約(1916年)の秘密協定が結ばれて、ロレンスのアラブ独立の構想があっけなく瓦解する。かくて、イギリスからもアラブからも用なしとなってこの地を去るにあたり、老練なファイサル王子はこんな言葉で訣別を告げた。
“ Young men make wars, and the virtues of war are the virtues of young men. Courage and hope for the future. Then old men make the peace, and the vices of peace are the vices of old men. Mistrust and caution. It must be so. ”
若者は戦争を行う、戦争の美徳は若者の美徳だ。勇気と未来への希望。老人は平和を行う、平和の悪徳は老人の悪徳だ。不信と警戒心。そんなものだろう。――あのとき、大隈講堂の硬い椅子に背筋をのばしてこの言葉と向きあって、わたしはどれほど胸を震わせたことか。以来、今日までアレック・ギネスの酸いも甘いも噛み分けた口調どおりのセリフを記憶にとどめてきたくらいだ。
しかし、どうやらそれもまた幻影であったらしい。なぜなら、映画が描いた第一次世界大戦から1世紀を経たいまなお平和への希求も空しく、世界各地でとめどない戦争を繰り広げているのは老人たちばかりなのだから。
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