水村美苗 著『日本語が亡びるとき』

地球上から日本語が
消え去ってしまう条件とは


702時限目◎本



堀間ロクなな


 作家・水村美苗の著作『日本語が亡びるとき』(2008年)がベストセラーとなって世上を騒がせたのは、わたしにとってもショッキングな出来事だったが、それから10年あまりを経たいま、もはやだれも気に留めなくなったように見受けられるのも、わたしにはやはりショッキングな出来事だ。というのも、著者が警鐘を打ち鳴らすとおり、われわれの母国語である日本語は亡びへの途をまっしぐらに突き進んでいると思うからだ。



 水村はまず、21世紀のグローバリズムの時代を迎えて、人類の言語に有史以来のふたつの巨大な異変が生じつつあると指摘する。ひとつは、地球上のかぎられた地域で使われてきた言語が凄まじい勢いで絶滅しつつあり、ざっと6000ほどの言語のうち8割以上が今世紀末までに消え去ってしまうだろうこと。もうひとつは、これまで存在しなかった、世界全域で流通する〈普遍語〉としての英語が生まれたことだという。



 なるほど、近年、日本列島にあってもアイヌ語や琉球語の消滅の危機が叫ばれたり、あるいは、小学校で英語学習が取り入れられたりするのも、こうした大局的な流れのなかにあるものなのだろう。そのうえで、水村はつぎのように議論を運ぶ。



 インターネットは人類の文字文化にとって「グーテンベルク印刷機以来の革命的な発明だ」とは誰もが言うことである。〔中略〕インターネットという技術の登場によって、英語はその〈普遍語〉としての地位をより不動のものにしただけではない。英語はその〈普遍語〉としての地位をほぼ永続的に保てる運命を手にしたのである。人類は、今、英語の世紀に入ったというだけではなく、これからもずっと英語の世紀のなかに生き続ける。英語の世紀は、来世紀も、来々世紀も続く。英語と英語以外の言葉を隔てる言葉の二重構造は、今世紀だけでなく、来世紀も、来々世紀も、そしてその先も、多分ずっと続くのである。



 まさに決定的なご託宣だろう。旧約聖書にしたがえば、人類が力を合わせて天まで届くバベルの塔を建設しようとして神の怒りに触れ、おたがいの意思が通じないよう言語をばらばらにされてきたのが、インターネットによって英語のもとでふたたび言語が統一されるというのだ。しかし、とわたしは注意を喚起したい。水村がこの文章を書いたときにはまだ視野に入っていなかった論点が存在する。いうまでもなく、生成AI(人工知能)の出現だ。ことによると、この新たな技術は「英語の世紀」に依拠せずに、人類の言語をひとつにする可能性を秘めているのではないか。



 そんなふうに想像を膨らませたくなるのは、水村が夏目漱石を引きあいに出して、つぎのような未来像を示しているからだ。



 漱石が今生まれたとすれば、大人になるのは四半世紀後である。四半世紀後の世界では、非西洋人の学者が英語で書くのは今よりさらに常識になっているであろう。英語で〈テキスト〉を書くことによって、世界の〈読まれるべき言葉〉の連鎖に入ろう――そう、漱石が決心し、そして、もし英語として充分に読むに堪えうる〈テキスト〉を実際に書くことができたとすれば、かれが書いたものは、実際、世界の〈読まれるべき言葉〉の連鎖に入ったかもしれない。

 ただ、そのとき漱石は、英語とはあまりにかけ離れた言葉を〈母語〉とするおのれの運命を呪い、英語を〈母語〉とする人たちの幸福を妬み、かれらの無邪気と鈍感に怒りを感じながら、人生のかなりの時間を英語そのものと格闘してすごすことになったであろう。漱石は、いずれにせよ、毎日が幸せでしょうがないといった類いの人間ではない。〔中略〕だが、それでも、これから四半世紀後、漱石のような人物が日本語で書こうとするであろうか――ことに、日本語で文学などを書こうとするであろうか。



 ここで水村は漱石への激しい共感に仮託して、また、おそらくは自身が父親の仕事の都合で移り住んだニューヨークで周囲に馴染めなかった少女時代の体験も踏まえて、英語と向きあうことの困難を強調しながら、その〈普遍語〉に呑み込まれて日本語の文学が成り立たなくなることを予言しているのだ……。しかし、こうしたビジョンは現在の目ではピント外れに見えてしまうに違いない。そう、四半世紀後といわず、いますぐにでも生成AIを活用すれば、こうした仰々しい葛藤と無縁に英語でテキストを書けるだろうし、さらに、もし本当に才能のある作家が日本語で文学作品を書くのをやめてしまうなら、そのときは生成AIが代わりに同水準の作品を提供し続けるだろう。ひっきょう、英語が原因となって日本語が亡ぶことは決してあるまい。



 むしろ、日本語を亡ぼす最大の要因は留まるところを知らない少子化の趨勢だとわたしは思う。ある計算によれば、今世紀末には日本人が5000万人を切ることも予測されているという。そんな未来のかなたに日本語の墓標が立ち現れてくるのではないだろうか?


 

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍