ムロディナウ著『ユークリッドの窓』

幾何学をめぐる
愛と悲しみの物語


737時限目◎本



堀間ロクなな


 レナード・ムロディナウ著『ユークリッドの窓』(2001年)のなかに、いかにも奇妙な記述がある。青木薫訳。



 当時の流行のなかでもとくにガウスをおもしろがらせたのが「心霊叩音」である。ふだんは知性的な人びとがテーブルを囲んで席に着き、両手をテーブルに載せる。30分ほどもすると、まるで退屈な連中にうんざりしたかのようにテーブルが動いたり回転したりしはじめるのだ。これは死者からの心霊メッセージであると考えられた。



 われわれのよく知る「こっくりさん」のたぐいだろう。近代のドイツでも流行していたとは興味深いが(トーマス・マンの『魔の山』にも出てくる)、それ以上に驚かされるのは、アルキメデス、ニュートンに並ぶ天才数学者と称されたカール・フリードリヒ・ガウスがこうした心霊術にハマっていたらしいことだ。



 この「平行線から超空間にいたる幾何学の物語」という副題を持つ本は、古代のエジプトやバビロニアで発祥した幾何学が、ギリシアにおいて長足の進歩を遂げたのち、デカルトの解析幾何学を経て、アインシュタインの相対性理論、ウィッテンのひも理論へと発展して流れを(数式を一切使わず)大づかみに叙述したものだが、そこで主役の座を占めるのがユークリッドだ。紀元前300年ごろの地中海の湾岸都市アレクサンドリアで学校を開いたこの人物が、幾何学を基礎づけ、さまざまな図形の性質を証明するために、つぎの五つの公準を示したことはよく知られている。



(1)任意の二点が与えられたとき、それらを端点とする線分を一本引くことができる。

(2)線分の両端は、いずれの方向にも無限に延ばすことができる。

(3)任意の点が与えられたとき、その点を中心として、任意の半径をもつ円を描くことができる。

(4)すべての直角は互いに等しい。

(5)一直線が二直線に交わるとき、同じ側の内角の和が180度より小さいならば、この二直線は、かぎりなく延長されたとき、内角の和が180度より小さい側において交わる。



 これらのうち、(1)~(4)は簡潔で直観的にわかりやすいのに対して、(5)のいわゆる平行線公準だけがいかにも冗長で据わりが悪く、ユークリッド自身気に入らなかったらしい節があるだけに、後世の数学者たちも取り扱いにさんざん頭を悩ませてきた。そうしたところ、上記のガウスが1824年11月6日にアマチュア数学者で法律家の知人に宛て、「(三角形の)三つの内角の和が180度よりも小さくなるという仮定を置くと、われわれの幾何学(ユークリッド幾何学)とは異なる特殊な幾何学が導かれます。その幾何学はまったく矛盾なく首尾一貫しており、私自身たいへん満足のできる理論であると思っています……」と書き送ったことが、ついに平行線公準を乗り越えたメルクマールとされている。負の曲率を持つ曲がった空間が対象の「双曲幾何学」の誕生だ。



 こうして非ユークリッド幾何学の突破口を開いたガウスが、一方で子ども騙しめいた「こっくりさん」に興じたとは何を意味するのだろうか?



 本書のなかでは、ガウスの私生活が幸福からほど遠いものだったことも明かされている。かれには最愛の妻ヨハンナと長男ヨーゼフ、長女ミナがいたが、1809年に次男ルートヴィヒの出産にあたってヨハンナが命を落とし、生まれたばかりのルートヴィヒもあとを追ったばかりか、ミナもまた早世する運命にあった。のちに再婚して3人の子どもをもうけたものの、かれの人生がふたたび喜びに満ちることはなかったという。そして、死後になって発見された手紙には涙の染みがあって、こんな文章が綴られていた。



 孤独だ。私は幸せそうに私を囲む人たちのなかでひっそりと生きている。彼らがひととき苦渋を忘れさせてくれても、それは倍になって返ってくる。……輝くような青空でさえ、私の悲しみを増すばかりだ…… 



  あまりの痛ましさに同情しつつ思うのである。こんな人物ならば、「こっくりさん」を通じてあの世の愛する妻や子どもたちとの交流を持てたのもかもしれない。そして、この世界は単純な直線や平面だけで成り立つのではなく、もっと変化と陰影に富んだ曲がった空間の存在することを発想してとしても、ちっとも不思議ではないだろう、と――。



 以上、かつて図形の問題に泣かされたわたしの、あくまで仮説であることをお断りしておく。  



一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍