ヴェーベルン作曲『弦楽四重奏のための六つのバガテル』

まあ、
なんていやらしいかた!


738時限目◎音楽



堀間ロクなな


 心地よい音楽にいつまでも酔い痴れたい、とはわれわれの抱く願望だけれど、なかにはそんな思いに真っ向から「ノー」を突きつけてくる作品もある。アントン・ヴェーベルンの『弦楽四重奏のための六つのバガテル』(1911~13年)は、さしずめその最たるものだろう。アルノルト・シェーンベルクやアルバン・ベルクとともに20世紀初頭の前衛、「新ウィーン学派」を形成したかれの代表作のひとつだ。



 その際立った特徴は、極端に短いこと。もともと「些細なつまらないもの」という意味を持つバガテルが自由な形式の小品を指すにせよ、それにしてもヴェーベルンのこの曲集は、第1曲=10小節、第2曲=8小節、第3曲=9小節、第4曲=8小節、第5曲=13小節、第6曲=9小節の長さに過ぎず、手元のアルバン・ベルク弦楽四重奏団の録音(1975年)では全6曲を演奏するのに計3分57秒しか要していない。ここまでくると、もはや小品というより瞬間芸と呼んだほうがふさわしいだろう。実際、われわれからすると酔い痴れるいとまもないまま、あっという間に終わってしまうのである。



 もとより、それこそが作曲者の意図するところだったに間違いない。すなわち、聴き手を陶酔させるのではなくあえて覚醒させて、わずかな時間、無調形式による技巧の粋を凝らしためくるめく音楽世界へ誘おうとしたのだ。



 そして、それはまた、世紀転換期のウィーンにおいて、たとえば精神科医ジークムント・フロイトが夢の分析を通じて無意識の領域に分け入り、たとえば画家グスタフ・クリムトが金箔を用いてエロスと死の境地を描きだしたように、ほんの一瞬の飛躍で現実の皮膜を乗り越えてしまう特殊な時間感覚が反映されたものでもあったろう。ウィーンの街でボヘミアンとして暮らした作家のペーター・アルテンベルク(本名リヒャルト・エングレンダー)はおびただしい小品を書き残したが、そのなかに「対話」と題されたこんな一篇がある。池内紀訳。



 彼と彼女がリンデン通りのベンチにすわっている。

 彼女 わたくしにキスなさりたいですって?!

 彼 ええ、お嬢さん――

 彼女 手に――?!

 彼 いいえ、お嬢さん。

 彼女 唇に――?!

 彼 いいえ、お嬢さん。

 彼女 まあ、なんていやらしいかた――!

 彼 「その服の裾に」と言うつもりでしたのに。

 彼女はまっ青になる――



 まさしく瞬間芸と呼ぶべき作品だろう。上記したウィーン出身のアルバン・ベルク弦楽四重奏団の『弦楽四重奏のための六つのバガテル』をかけると、現代音楽ならではの研ぎ澄まされた音響の向こうから、こうした往時の人々の内実を孕んだ光景が立ち現れてくるような気がするのだ。



 しかし、「世界の都」ウィーンならではの時間のきらめきを刻んだ芸術表現も束の間のことだった。やがて、1938年3月にナチス・ドイツがオーストリアを併合するとヴェーベルンの作品は「退廃音楽」の烙印を押されて演奏禁止となり、ようやく第二次世界大戦が終結して作曲活動の再開を期した1945年9月、かれはオーストリア駐留軍のアメリカ兵に誤ってピストルで撃たれて61歳の生涯を終えたのである。  


 

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍