アーサー・ヒラー監督『ある愛の詩』

永遠のラヴ・ストーリーを
成り立たせたのは


742時限目◎映画



堀間ロクなな


 わたしは一度だけ映画に出たことがある。ただし、世間の映画館で上映されるような作品ではなく、20年ほど前に大学で仕事をしたときのこと、そこで知りあった女子学生から文化祭で上映する映画への出演を依頼されたのだ。内容は、生きることに絶望した女子学生が同じ心境の男子学生と出くわして恋愛結婚を考えるというもので、わたしにあてがわれたのは男子学生の父親で、わざわざ地方の実家からやってきてふたりの結婚に反対する憎まれ役だった。大学のキャンパスで撮影が行われたのち、後日聞いたところでは、文化祭の映画に大人の出演は稀だったため大いにウケたとか……。



 そんなことを思い出したのは、アーサー・ヒラー監督の『ある愛の詩』(1970年)を初めて目にしたのがきっかけだ。もちろん、この作品についてはフランシス・レイの主題曲とともに半世紀前から知っていたが、他人の色恋沙汰にはあまり興味がなく恋愛映画にも食指の動かないタチだったので(多くの男性が同様では?)、ごく最近まで実見することのないままきてしまったのだ。



 あらためてストーリーを紹介する必要なないだろう。アメリカのエスタブリッシュメントの御曹司で名門ハーヴァード大学の学生オリバー(ライアン・オニール)は、図書館の司書をつとめていたイタリア移民の娘ジェニー(アリ・マッグロー)と出会ってたちまち恋に落ちろ。そして、社会的な立場の違いをはねのけて結婚したものの、幸せを満喫するいとまもなくジェニーが白血病で余命いくばくもないことが判明して……というもの。いかにも月並みなメロドラマの仕立てではあるけれど、第二次世界大戦直後に誕生した「ベビーブーマー」世代の共感を煽ったろうことは想像に難くない。わたしもそのひとりだったら、きっと熱い涙を振り絞ったことと思う。



 しかし、いまこの年齢になって鑑賞すると、すっかり有頂天の初々しいカップルよりも、オリバーの父親バレット三世(レイ・ミランド)の立ち居振る舞いのほうに頷きたくなってしまう。名家の当主であるかれはこの恋愛をめぐってオリバーと険しく対立するのだが、なにも結婚そのものに反対したのではなく、きちんと学業を終えたのちに就職して経済的自立を果たすまで待つように諭したのであって、それは世間一般の父親たちにとってごく常識的な判断だ。ところが、オリバーが断固として受け入れず、父親に向かって絶縁を宣言してさっさと結婚式を挙げたのは、むしろ若気の至りというべきだろう。



 その後、粗末な木造家屋ではじまった新たな生活のなかで、ジェニーはオリバーと父親の仲を修復しようとして夫婦喧嘩となり、深く傷ついて涙ながらに口にしたのが、あのあまりにも有名なセリフだ。



 「愛とは決して後悔しないこと(Love means never having to say you`re sorry)」



 こうして観ていけば、若いふたりの人生のドラマに父親がきわめて重大なポジションを占めていることがわかる。もしかれがあっさりと学生結婚を認めていたなら、ふたりはかえって取り留めのない思いに宙ぶらりん状態となって別れてしまったかもしれない。だから、自分の妻としてジェニーを見送ったあとに、オリバーは和解した父親に対して同じセリフを告げたのである。すなわち、この永遠のラヴ・ストーリーは頑固一徹なかれの存在なくしては成り立たなかったとさえいえるのではないか?



 かつて自作の映画にわたしの出演を依頼してきた女子学生にも、おそらくは同じような判断があったのに違いない。ついさきごろ、その彼女と久しぶりに再会したところ、いまでは3人の子どもを持つ母親となっていた。わたしはその堂々たる様子を眺めながら、ひそかにニヤニヤと想像したものだ、やがてその子どもたちが結婚をいいだしたときには、彼女もまたそう簡単には首をタテに振らないだろうことを――。  


 

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍