【絵本】『フレデリック』肉体労働も芸術活動も等しく尊い

もうすぐ春ですが、ちょっと気取ってみたりはしない子持ちコンブです。みなさんいかがお過ごしですか。



いきなりですが、わたしは「蟻とキリギリス」という寓話が嫌いです。

まぁ、イソップ物語系の教訓じみた寓話はどれもたいてい嫌いなんだけど(オオカミ少年とか鶴と狐のご馳走とか)、特にアリキリの蟻の生態を無視した「労働者の溜飲下げてやったり」とでも言いたげな「ドヤァ」なラストがただ単に腹立たしいのです。


夏、せっせこせっせこ働いて食糧を蓄える蟻。一方、バイオリンを弾き歌って遊び暮らすキリギリス。冬になり、餓死寸前で困窮するキリギリスに蟻はこう言い放つ。

「夏歌ってたんだからさぁ、冬は踊れば?(ゲス顔)」

(カッコ内は個人的なイメージです)

うん、蟻クズだな。


他にも、「蟻がキリギリスに食糧を分けてあげて、キリギリスは改心して翌年から働くようになった」という有名な全方位型忖度まみれアナザーエンディングもありますが、こちらも、おいキリギリス!お前の人生そんなんでいいのか!と突っ込みたくなります。



そんなわたしが好きな絵本はレオ=レオニの『フレデリック』です。


冬支度に備えて食糧を集めるのねずみたち。しかしフレデリックは働かずに「おひさまのひかりをあつめている」「いろをあつめている」「ことばをあつめている」ーなどと言ってぼんやりとしてばかり。


ここまでは働かないキリギリスと一緒です。

   

冬が深まり食糧も底を付き欠け仲間たちが「おしゃべりをするきにもなれない」でいたある日、フレデリックは満を持して集めたものを披露する。

(以下一部引用) 


「三がつに、だれがこおりをとかすの?

六がつに、だれが四つばのクローバーをそだてるの?

ゆうぐれに、だれがそらのあかりをけすの?

それはそらにすんでる四ひきのちいさなのねずみ。」

(『フレデリック』1969年 レオ=レオニ作、谷川俊太郎訳)


それを聞いた仲間たちは拍手喝采、フレデリックを「詩人」だと評するのでした。



あぁ、これだ。とわたしは思いましたね。肉体労働だけが称賛に値すべきということはないのです。音楽や絵や文学などの芸術を生み出す活動も、どちらが秀でているかということではなくて、どちらも等しく尊い行動なんです。

確かに、誰もがみなキリギリスやフレデリックのようには生きられない。そんな生き方に憧れながら蟻のように生きているのかもしれない。でも、芸術を疎まず、愛する気持ちを大切にして欲しい…

わたしはそんな思いで『フレデリック』を我が子に読み聞かせていきますよ。

これからもしお子さんに絵本やお話しを読み聞かせる機会がありましたら、「蟻とキリギリス」より『フレデリック』、ここはひとつ、どうぞよろしく。



ちなみにですが、わたしが「蟻の生態を生かしていて好きだなぁ」と思ったアリキリアナザーエンディングはこちら。



精も根も尽き果て、やっとの思いで蟻の家にやってきたキリギリス。

「食糧を…分けてください…」

蟻はそんなキリギリスを笑顔で迎え入れた。

「外は寒かったでしょう、ほら、温かいスープを召し上がれ」

キリギリスは蟻の歓待に感涙し、お礼にと得意の歌とバイオリンを披露するのだった。

蟻から盛大な拍手を受けながら、突如キリギリスは体に異変を感じて倒れこむ。

「おかしいぞ、体に力が入らない…」

意識が遠のく中、キリギリスは蟻たちの会話を耳にする。

「ほら、新鮮なキリギリスが手に入ったよ」

「今夜のデザートはキリギリスのプディングね」


・・・というわけで次回は、「実写版なら間違いなくR指定な絵本『三びきのやぎのがらがらどん』をご紹介します!(しません)


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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍