ガリレオ著『星界の報告』
その望遠鏡が月に向けられたとき
宇宙への挑戦がはじまった
49時限目◎本
堀間ロクなな
「本日、人類の手が新しい小さな星に届きました」
今年(2019年)2月22日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの着地に成功して、チームを率いる津田雄一プロジェクトマネージャが記者会見で発した言葉だ。初代「はやぶさ」の奇跡の帰還劇に沸いた小惑星イトカワ探査に続く快挙であり、日本の科学技術力をふたたび世界に示すものとなった。
星の世界をたんに眺めるだけでなく、こちらから接近していくことを考えついたのはガリレオ・ガリレイだ。イタリア・ルネッサンスの終焉期に生まれたガリレオは当初、力学の研究に打ち込み、わたしたちも理科の授業で習った「振り子の等時性」(振り子の長さが一定なら、その振れ方の大小にかかわりなく周期は一定)や、「落体の法則」(自由落下する物体の速度は出発からの経過時間に比例し、落下距離は経過時間の二乗に比例する)の偉大な発見を成し遂げる。そんなかれの目を天空へ向けさせたのは、オランダで望遠鏡が発明されたのがきっかけだった。
ガリレオはみずから望遠鏡の製作に取り組み、当時としては驚異的な倍率20倍のものを完成して、そのレンズを月へと向けた。そこで目にした光景を、『星界の報告』(1610年)にこう書き記している。
「我々は次のように確信するにいたった。すなわち、月の表面は、多くの哲学者たちが月や他の天体について考えているような、磨かれたようでも、平坦でも、まったく正確な球形でもないと考え、たしかにそのことを確信している。反対に、不規則で、ごつごつしていて、窪みや隆起で満ちており、それは、ちょうどこの地球の表面自体が山の連なりや谷の深みによって至る所で異なっているのと同様である」(伊藤和行訳)
まさに、人類の手が初めて星の世界へ伸ばされた瞬間のドキュメントだろう。その後もガリレオは望遠鏡を、オリオン座やプレイアデスの恒星、木星の4つの衛星、太陽の黒点……と向けていき、宇宙はコペルニクスが考えたとおり太陽を中心とする数学的な秩序に支配されていて、神の居場所などどこにもないことを知る。したがって、のちにローマ教会の宗教裁判にかけられて有罪の判決を受けたのも、つまりは必然的な成り行きだったと言えるだろう。
最近の「フェルミのパラドックス」(宇宙人はどこにいるのか?)をめぐる論議では、生命が誕生して星の世界へ手を伸ばす段階にまで進化を遂げるのは計算不能なほど極小の確率で、それだけの知的生命体はほかに存在しない、この宇宙にあって人類は孤独なのだ、との説が有力になっているという。ガリレオが望遠鏡を月に向けたときにはじまり、それから400年あまりを経て、「はやぶさ2」がリュウグウに到達するまでの宇宙への挑戦の足取りは、たとえ小さなものだとしても、その意義は宇宙と同じ大きさを有しているのかもしれない。
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