タゴール著『もっとほんとうのこと』

「インドの詩聖」が
最後に贈ってくれたプレゼント


752時限目◎本



堀間ロクなな


 ラビンドラナート・タゴールは、1861年にインド西ベンガル州コルカタ(カルカッタ)の名家に生まれて、幼くして詩をつくりはじめ、イギリス留学ののち教育事業に取り組むかたわら、ベンガル語の詩集『ギタンジャリ』を自分で英訳して出版し、1913年にアジア人として初のノーベル賞(文学賞)を受賞した。その後、マハトマ・ガンディーのインド独立運動を支援して、ロマン・ロランやアインシュタインらと親交を結び、世界的な衆望を集めながら、1941年に80歳で他界した。インドとバングラデシュの国歌はかれの詩によるものだという。



 そんなタゴールは、最晩年に孫娘のために『お噺集(ゴルボショルボ)』をまとめた。このなかの『もっとほんとうのはなし』は平明な言葉でみずからの死生観を語ったものだが、ほんの小さい寓話にもわたしは深遠な精神世界を見て取って圧倒されてしまう。



 クシュミから「ほんとうのお話」を聞かせてほしいとせがまれたおじいさんは、この世には「ほんとうのこと」と「もっとほんとうのこと」のふたつがあると応じる。そして、具体的な説明を求められると、おまえがクシュミという子なのが「ほんとうのこと」で、実は妖精の国からやってきた妖精なのが「もっとほんとうのこと」だと告げて、こんなふうに続けた。内山眞理子訳。



 「ある日、妖精の国でおまえは、夢のような花の咲く森のなかで、蝶々の背にのって飛びまわっていた。すると、はるか遠い地平線の向こうに河があって、その岸辺に渡し舟が到着したのが見えたのさ。それは白い雲でできていて、風に揺れていた。おまえはふと何を思ったのか、その小舟に乗りこんだ。舟はすべり出し、漂いながれて、やがてこの世界のとある岸辺に到着した。そして、母さんが拾ったというわけだ」



 この摩訶不思議な言葉は一体、何を伝えようとしているのだろうか? わたしは妖精のイメージを借りて、インドの悠久の歴史が織りあげてきた「輪廻」という死生観に触れているのだと思う。



 紀元前8世紀ごろに成立したらしい『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』には、「輪廻」について最古の言い伝えが記録されている。それによると、神々のもとで世界は祭火であり、男も女も祭火であり、男の精子が女に注ぎ込まれることで、祭火から子どもが生まれ、かれは寿命のあるかぎり生きたあとに、ふたたび祭火に返る。そして、「祖霊の世界から虚空に、虚空から月におもむく。〔中略〕そこ(月)に(祭祀・徳行の)果報があるあいだとどまったのち、彼らは来たときと同じ道を再び虚空へともどり、虚空から風におもむく」(服部正明訳)。月が「輪廻」を司る場とされているのは、もとより女性の生理的なリズムを踏まえたものだろう。



 タゴールもまた、クシュミからどうやって妖精の国に帰ればいいのかを問われたおじいさんにつぎのように答えさせている。 



 「ここからどこかへゆく必要はないんだよ。またいつか、窓から月の光が差しこむだろうね、そのとき、おまえが外をじっと見つめていると、疑ったりする気持ちなどどこかへすっと消えてゆくだろう。すると、月の光の流れにのって、雲でできた渡し舟がやって来るのが見えるだろう。だがね、おまえはもう地上の妖精になったのだから、渡し舟はその重さに耐えられない。だから、おまえはじぶんの体を離れて、ただおまえの心だけを道づれにしてゆくわけだ。おまえのほんとうのことがこの地上にのこって、おまえのもっとほんとうのことがどこかへ漂ってゆくのさ、わたしたちはだれもそこへたどりつくことはできないけれど」



 そのときが訪れたら、人間の「ほんとうのこと」だけが地上に残って、「もっとほんとうのこと」は渡し舟で月の光の流れに乗ってのぼっていく。やがて、ときが移ったら「もっとほんとうのこと」はふたたび渡し舟に乗って地上へやってきて「ほんとうのこと」とひとつになる……。なんと大らかで美しい死生観! こうした「輪廻」の世界にあっては、われわれは生きることも死ぬこともなんら恐れる必要はないだろう。寓話の結びに、おじいさんはクシュミに向かって念を押す。



 「わたしはここにすわったままで、道をおしえてやれるだろう。わたしにはその力がある――なぜなら、もっとほんとうのこと、それを扱うのが、わたしの仕事だからね」 



 「インドの詩聖」が死を目の前にして、最後に贈ってくれたプレゼントだったのである。



 【追記】

 日本語版『もっとほんとうのこと』(段々社発行・星雲社発売)の解説によれば、タゴールのオリジナルでは『妖精』と『もっとほんとうのこと』の二編だったものを翻訳にあたって一作品にまとめたとのことです。記事で取り上げたのは『妖精』のほうにあたります。


   

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍