吉田恵輔 監督『ミッシング』
「神隠し」の事態に
われわれはどうすれば?
767時限目◎映画
堀間ロクなな
吉田恵輔監督の『ミッシング』(2024年)は、古来の言い方にしたがうなら「神隠し」をテーマとした映画だ。
静岡県で小学1年生の森下美羽が、秋の日の夕方、公園から約300メートルの距離の自宅へ帰る途中で消息を絶って3か月――。当初の大騒ぎは過ぎ去って警察の捜査もマスコミの報道もすっかり熱が冷めたなかで、母親・沙織里(石原さとみ)と父親・豊(青木崇高)は街頭に出てひとり娘の情報提供を呼びかけるチラシ配布の毎日だった。そんな沙織里にとって唯一の心の支えが地元のテレビ局の砂田記者(中村倫也)で、いまだに無理を押してニュースになるよう取り計らってくれるので、ときにはヤラセまがいのカメラ取材にも応じていた。そこで、豊とこんな口争いが起きることも。
「あんまり信用しないほうがいいんじゃないのかな。いろいろ変だよ、あの人ら」
「いいよ、イヤなら私ひとりでやるから。砂田さんがいなくなったら、もうどうしていいのか分かんないんだから」
「そうかもしんないけど……」
「砂田さんの言うことを聞いていれば、美羽、絶対見つかるから。うん、美羽、絶対見つかる」
しかし、せっかくテレビで扱ってもらってもろくな反響がないばかりか、かえってネットでは家族へのバッシングがさかんに飛び交うのだった。というのも、美羽が行方不明となった当日、沙織里は人気の男性ヴォーカル・グループのライヴに出かけていて、近くに住む弟の圭吾(森優作)に世話を頼んだものの、美羽と公園で別れたというかれに挙動不審の点があって(のちに、違法カジノで遊んでいたと判明)……といった事情が広まっていたからだ。とどまるところを知らない誹謗中傷の嵐に苦しむ沙織里に対し、豊はパソコンの画面から離れるように忠告するのだが。
「だから、もうそんなの見るなって。便所の落書き見たって意味ねえじゃん」
「便所の落書きが人を攻撃してこないでしょ。一緒にしないで。これは私たちに対する攻撃なんだよ。これで傷ついて死ぬ場合だってあるんだよ。便所の落書きが人を殺さないでしょ!」
「だから、見なけりゃいいって話」
「分かってるよ、でも見ちゃうんだよ。どうしても見ないでいられないの!」
これらの対話が意味するのは、子どもが「神隠し」に遭ったときに、両親がひたすらメディアの虚実ないまぜとなった情報空間にしがみつくせいでいっそうみずからを八方塞がりへと追い込んでいる状況だろう。もとより、それはやむにやまれない事態だとしても、実のところわれわれは知っているのではないか。こうして水平方向に行き場が見出せない局面においては目先の「情報」ではなく、エゴイズムを超えた「知恵」によって垂直方向に道を切り開かなければならないことを――。
映画のストーリーを辿っていくと、だれでも2019年に山梨県のキャンプ場で起きた小学1年生の女児失踪事件を思い起こすだろう。しかし、わたしはそうしたことより、ここに示されているのはもっと大きな日本社会が抱える問題のように思えてならない。現在、未曽有の急激な少子化に直面して、最大のテーマといわれながらなんら実効性のある対策を打ちだせずにいる。もしこれを日本列島に存在するべき子どもたちの「神隠し」と見なすなら、こうした八方塞がりの状況を打開するためには、やはり「情報」ではなく「知恵」が必要なのではないだろうか?
美羽の姿が消えてから3年近くが経過して、相変わらず豊とともに街頭でチラシの配布にいそしんでいた沙織里は思いもかけない事態と出くわす。同じ静岡県内で小学2年生の少女が行方不明となったのだ。やがて、それは母親の元交際相手が行ったいやがらせだったとわかり、少女の無事保護されたことをテレビのニュースで知ったとたん、沙織里は激しく泣きじゃくりながら叫んだ。
「よかった、よかった、よかったね!」
その姿を目の当たりにした豊もまた、涙にむせんで口走る。
「沙織里、お前すごいよ!」
おそらく、かれらはこのときようやく「情報」ではない「知恵」を手に入れることができたのだろう。たとえ八方塞がりから抜けだすまでの道のりはまだ遠いにせよ。ふたりの再出発を伝えて映画は静かに結ばれるのである。
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