プロコフィエフ作曲『ロミオとジュリエット』

もしふたりが死なずに
生き永らえていたら


774時限目◎バレエ



堀間ロクなな


 もう20年近く前、慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスに招かれて「女性誌が果たす役割」というテーマで講義をしたことがある。このとき、女性はライフステージによって生き方が激変するのを説明するために、畏れ多くもシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』をサンプルに使わせてもらった。こんな具合に――。



 「みなさんよくご存じのロミオとジュリエット、出会ってはいけなかったふたりが出会っていっぺんに恋に落ちる。ジュリエットは叫びます、『ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?』と。こんな熱に浮かされたようになるのも、みなさんと同じ年ごろだからなんですね〔学生たち笑う〕」



 それを思い出したのは他でもない、シェイクスピアの国、イギリスで制作されたバレエ映画『ロミオとジュリエット』(マイケル・ナン監督 2019年)を観て、久しぶりに史上最も有名な恋愛ドラマの感銘を新たにしたからだ。セルゲイ・プロコフィエフが作曲した絢爛たる音楽(1935年)により、コヴェントガーデンのロイヤル・バレエ団が演じたものだが、通常の舞台公演とはまったく異なる。わざわざブダペスト郊外に16世紀のヴェローナの街並みを再現したオープンセットをこしらえ、そこでダンサーたちは当時の衣装をまとって踊るという、歴史映画さながらのリアリズムを追究した作品なのだ。



 いまさらストーリーを説明する必要はないだろう。北イタリアの古都でふたつの名家が激しく対立して、しばしば流血沙汰を引き起こしていたところ、そのモンタギュー家のひとり息子ロミオ(ウィリアム・ブレイスウェル)とキャピレット家のひとり娘ジュリエット(フランチェスカ・ヘイワード)が偶然、舞踏会で出くわして、おたがいにひと目惚れしてしまう。まさにその運命的なシーンはバレエという表現手段だけに圧倒される出来栄えなのだけれど、さらにわたしが呼吸も忘れるくらいの感動に襲われたのはこのあとに続くシーンだった。



 舞踏会が終わると、ロミオは宵闇に紛れてキャピレット家のジュリエットの寝室を訪ねていき、再会したふたりはバルコニーで愛を誓いあう。このときジュリエットが「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」のセリフを口にするのだが、そこには自分たちが仇敵同士の家に生まれたことへの呪詛が込められていたろう。ところが、である。このバレエ映画においては、月明かりの下、吹きすさぶ夜風を浴びながら(実際、ブダペストのオープンセットに嵐が迫っているなかで撮影されたという)、ふたりはプロコフィエフのきらびやかな音楽にのってえんえんとパ・ド・ドゥを繰り広げていく。その重力から解き放たれた踊りは、実のところ、禁忌の間柄にあることがいっこう背徳の喜びを掻き立てているかのようにさえ見て取れるのだ。



 落ち着いて考えると、ただならぬことではないか。シェイクスピアの劇を、シェイクスピアが用意したセリフを一切使わずに肉体だけで表現して、しかもそこにシェイクスピアの知らなかった新たな解釈まで織り込んでみせるとは! このロイヤル・バレエ団による映像作品は、そんな無謀な試みに挑戦して見事に成功させたと思う。



 さて、わたしの慶應義塾大学で行った講義は、前述の発言のあとにこんなふうに続く。



 「ロミオとジュリエットのドラマはたった5、6日の出来事なんですね。そんな短い期間だったから、熱烈に愛しあい、熱烈に死を迎え、永遠の悲恋のヒーローとヒロインになったのでしょう。もしふたりが死なずに生き永らえていたらどうなっていたかといいますと、双方の親は決して結婚を許さないので、駆け落ちするしかありません。何不自由なく育ったお坊ちゃんとお嬢ちゃんの貧しい生活がはじまります。ロミオはイケメンであっても手に職はありませんから、働けどもそうそう稼げない。一方のジュリエットは至って健康ですから、間もなく子どもが生まれます。まあ可愛らしい赤ちゃんなんていっていられるのは束の間で、やがて昼も夜もギャアギャアギャアギャア泣きわめき、ジュリエットはすっかり育児ノイローゼになってしまう。で、夫のロミオはと目をやると、仕事に出かけたはずなのに、若い女の子にちょっかい出して遊んでいるんですね。ジュリエットは叫びます、『ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?』と〔学生たち爆笑する〕」



 これがロミオとジュリエットの踏みだした新たなライフステージの実相というわけだ。もとより、われわれはここにこそ真の幸福の芽生えを見なければならないはずだが、さしものロイヤル・バレエ団もそれを表現することは至難の業に違いない。 


  

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍