プルタルコス著『なぜ女は酒に酔いにくく老人は酔いやすいか』
老いの酩酊を
どう受け止めればいい?
793時限目◎本
堀間ロクなな
老いの酩酊とでもいったらいいのだろうか。このごろ、とみにアルコールに弱くなった。それも(ごく稀にとはいえ)妙齢の女性とサシで飲んだときにひときわ実感する。つい気分が高ぶってグラスを口元に運ぶ勢いが増したあげく、朦朧となって、われに返ったら相手に介抱されていたりするのだ。まったくもって情けない、いい歳をしてこの体たらくをどう受け止めたらいいのか?
そんな疑問を抱いた者が昔日から存在したようだ。というのは、『英雄伝(対比列伝)』で有名な古代ローマ帝国の著述家、プルタルコス(紀元1世紀後半~2世紀初頭)も『なぜ女は酒に酔いにくく老人は酔いやすいか』と題した文章を残しているからだ。
これは、仲のいい男性同士による食事のときのおしゃべりをまとめた『食卓歓談集』のなかの一篇だ。当時の習慣で、テーブルを囲んで背もたれのないソファのような寝椅子に横たわり、左腕でからだを支え、右腕をのばして飲み食いしながら、気ままな議論に花を咲かせていたところ、あるとき、くだんのテーマで口火が切られたというわけだ。すると、参会者のひとりが、女と老人はまるで正反対だとして、先に女が酒に酔わない理由をこんなふうに分析してみせた。柳沼重剛訳。
「女についてまず言うべきことは、湿った体質を持っているということだと思う。そしてその湿りが体内にあるから、肉が柔らかいとか、滑らかで光沢のある肌をしているとかいうことになり、またこのために月経というものも起こる。そこで、酒がこうした豊かな湿りを含んだ体内に入ると、その湿りに負けて切れ味を失い、気の抜けた水っぽいものになるわけだ。〔中略〕それにまた女の体は、月経のためにたえず水分が下へ下へと流れているのだが、そのための通路が、掘割りや水路のようにたくさん開かれているんだろうな。そしてこの通路に酒が流れこむから、どんどん下へ流れていって、体の大事な部分、つまり頭、を襲ったりはしない。酔うというのはその大事な部分が混乱することだろう」
なるほど、とわたしも首肯したくなる。とかく女性は、私、お酒だめなんです、などと口走りながら、いざ飲みはじめると、頬をほんのり紅く染めながらいささかも乱れないばかりか、やがて全身から妖しいばかりのオーラを立ち昇らせるありさまに目を瞠った経験は、たいていの男性が身に覚えのあるところだろう。では、それに対して、老人のほうはどうかといえば――。
「老人の体が曲がりにくい、固い、ざらざらしているというのは、明らかに乾いている証拠だね。そこで飲めば必ず体に吸い取られる。乾いているから体が海綿みたいになっているんだろう。そのうえ酒が体の中に滞留して、体に衝撃を与えたり体を重くしたりする。ちょうど水の流れが、土の緻密なところは流れていってしまってぬかるみにならないが、きめの荒い土にはよく吸収される、それと同じように酒も、老人の体では、その乾きのために吸収されて体内に長時間とどまる。しかしこういうことがなくても、老人の特性そのものの中に酔いの徴候がすでに見てとれるだろう。というのは、老人の特徴の中で一番目につくのは手足の震え、舌のもつれ、そしてむやみと話したがること、怒りっぽいこと、物忘れすること、考えがわき道にそれることだのだろうが、このうちほとんどは、ほんの少し目盛りをずらせば、何かのためにちょっと調子が狂えば、健康な老人にもあると言える。だから老人が酔うと、個人個人に独特の徴候を示すよりは、老人に共通の徴候が強く現れることになる。その証拠に、若い者が酔うと、これ以上老人に似ているものはないではないか」
辛辣である。あまりにもいちいち思い当たるだけに論評する気も起きない。ただし、急いで付言しておきたいのは、プルタルコスがこの文章をしたためたのはすでに50歳を過ぎてからとされ、当時としてはレッキとした老人に達していたことだ。すなわち、かれはみずからの酔いっぷりを眺めて悪びれるふうもなく、むしろ饒舌を弄してそうした老いの酩酊を面白がっている息づかいさえ感じ取れるのだ。
古代ローマの食卓で風変わりな議論が行われてから、はるかに時代も場所も隔て、こんな詩句が詠まれている。
「一杯一杯復一杯」
一杯、一杯、また一杯――。唐代の「詩仙」李白もまた、おのれのざらざらと乾いたからだに酒が染みわたっていく感興を大いに味わっていたのだろう。どうやら、老いの酩酊という愉しみは古今東西すべからく通じあうものらしい。わたしもあやかりたいと考えている次第である。
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