熊井 啓 監督『サンダカン八番娼館 望郷』
だあれも骨ば
拾うてもらえんような
800時限目◎映画
堀間ロクなな
21世紀の日本社会に大規模なスカウト組織が存在し、全国各地の性風俗店に何万人もの女性を斡旋して見返りの報酬(スカウトバック)を得てきたというニュースに驚き入ったのはわたしだけではないはずだ。そのなかのトップ集団ふたつが摘発されて、昨年(2025年)には規制強化の風営法改正を見たあとも、福岡県や神奈川県で違反の発覚が相次いでイタチごっこの様相を呈しているらしい。
こうした「人身売買」の現実を前にして、脳裏によみがえってきたのが熊井啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年)だ。この映画は山崎朋子のノンフィクション作品を原作としているから、ドラマ仕立てとはいえ、そこに描かれた内容は歴史的事実を再現したものと見なしていいだろう。
原作者がモデルの女性史研究家・三谷圭子(栗原小巻)は、明治時代から昭和初期にかけて東南アジアなどへ渡って娼婦として働いた「からゆきさん」の調査にあたるうち、関係者が固く口を閉ざすなかで、熊本県天草の陋屋にひとり暮らしする老女サキ(田中絹代)と知りあい、そこに住み込んで彼女の苦難に満ちた半生を聞きだすことになった――。
発端は、1907年(明治40年)、若かりし日のサキ(高橋洋子)の家では父の急死で田畑が人手に渡り、母の再婚によって、兄の矢須吉(浜田光夫)と路頭に迷いかけたところ、彼女はサンダカンで娼家を営むという太郎造(小沢栄太郎)に買われて、その代金300円を矢須吉に渡すと、他の貧しい少女たちとともに密航船で天草の故郷をあとにした。当時のサダカンはイギリス領植民地の北ボルネオ最大の港町で人口約2万人を数え、そのうち日本人100人は世界各国の船員たちを相手に9軒の女郎屋をかまえていたとされる。
いわば、明治日本が欧米列国に伍して海外進出を図っていく先兵の役割をになっていたわけで、こうした女性の性の商品化の構図が一世紀以上を隔てた現代の日本社会にも巣食っていたことにわたしは驚愕したのだ。
かくして、カネのために異国の地で文字どおり骨身を削ったサキは歳月を経るにつれて望郷の念やみがたく、1931年(昭和6年)、ようやく仕事にひと区切りつけて帰国を果たす。天草では兄の矢須吉は彼女の仕送りのおかげで家と土地を持ち、妻子にも恵まれて暮らしていたが、十数年ぶりに再会した実の妹にあからさまに困惑した顔つきを向け、「外聞の悪かとたい。昔と違うてな、外国さん奉公へ行ったと聞くと、とかく世間で目くじらば立ててな……」と告げた。
やむなく、サキは同じ境遇の仲間と戦時下の満洲(現・中国東北部)へ流れていき、靴屋の主人と結婚して息子が生まれ家庭の幸せを知ったのも束の間、日本の無条件降伏で全財産を失い、ほうほうの体で引き揚げてくる途上で夫と死に別れてしまう。そして、戦後の食うや食わずの時期を母子でかろうじて乗り切り、やっと生活が落ち着いたとたん、結婚相手ができて母親の過去を隠そうとするひとり息子から追い払われて、ふたたび天草に舞い戻る。ことほどさように、サキは最も近しい身内の者どもに見捨てられたのだった。
それだけではない。いまになって、東京からやってきた女性史研究家のインタビュー取材に応じているらしいウワサが広まると、近在の連中が彼女の家に押しかけてきてこんな毒舌を浴びせた。
「どうせ、ああいう手合いはあることなかこと書きたててロクはことはなか。そうなったら村じゅうがえらい迷惑ばこうむる。あんた、それがわからんとかね。まあ、よかたい。あんたがポックリいったとき、だあれも骨ば拾うてもらえんような、そぎゃん死にざまはしとうなかろうが。なあ、おサキさん」
だが、サキは三谷圭子に対して、自分が語り聞かせた話をそのまま本にするよう伝えるのだった。穏やかに笑いかけながら。
今日の日本社会においても、「人身売買」の現実に呑み込まれた女性に対して、身内ばかりでなく、世間までもがあえて目を背けて隠蔽しようとしているのではないか。マスコミは大々的にスカウト組織の摘発を報道しても、彼女たちひとりひとりが負った哀しみの人生を伝えようとはしない。その肉声を真正面から受け止めて、こうした不条理の連鎖を断ち切るためには、新たなサキと三谷圭子の出現が求められるのだろう。『サンダカン八番娼館 望郷』はいまなお痛切なメッセージを送ってくるのである。
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