ジョナサン・デミ監督『羊たちの沈黙』
痛烈なトラウマを
乗り越えるためには
812時限目◎映画
堀間ロクなな
先般(2026年5月)、北海道旭川市の旭山動物園につとめる飼育員の男(33歳)が妻を殺害し、遺体を園内の焼却炉で損壊したという容疑によって逮捕・起訴された。その連日のテレビ報道を前に、なかなか事態を呑み下せない異物感に襲われたのはわたしだけではないはずだ。今日、嘆かわしいとはいえ夫婦間の殺人事件は珍しくないし、それを隠蔽するべく遺体を灰にしたのもある意味で合理的な成り行きといえるだろう。しかし、そのために利用したのがバックヤードの飼育動物の死体処理用の施設だったところに不穏な引っ掛かりを感じてしまうのだ。
そこで、脳裏によみがえってきたのがジョナサン・デミ監督の『羊たちの沈黙』(1991年)だといったら突飛だろうか? アカデミー賞主要5部門に輝き、日本でも大ヒットしたこのサスペンス映画についてもはや詳しく紹介するまでもあるまい。
FBIの訓練生クラリス(ジョディ・フォスター)は、上司から自分の患者9人を殺して食べたとして収監中の天才精神科医レクター博士(アンソニー・ホプキンス)と面会するよう命じられる。昨今、バッファロー・ビルと称して若い女性を殺して皮を剥ぐ犯罪を重ねてきた人物(テッド・レヴィン)の正体に迫る心理学上の手がかりを聞きだすことが目的だった。つまり、彼女はふたりの「殺人鬼」のはざまに身を置く羽目になったのだ。
そのレクター博士は、クラリスに対して、バッファロー・ビルを突き止める情報の交換条件として個人的なトラウマ体験の告白を求めた。そこで、彼女は幼いころ父母と死に別れ、親族が経営する羊と馬の牧場に引き取られた過去について語りはじめる。ある明け方、悪い夢を見たと思って目覚めると、赤ん坊の悲鳴のようなものが聞こえてきたことに話がおよび、両者のあいだでつぎのような対話が交わされる。
「きみはどうした?」
「私は外へ出て、そっと納屋に近づいてなかをのぞきました。そうしたら、子羊たちがさかんに悲鳴をあげていたんです」
「殺していたわけか。で、どうした?」
「かれらを逃がそうと思ってゲートを開けたのですけれど、子羊たちは動きませんでした。だから、私は1頭だけを抱えて必死で逃げだしました。でも、とても重くて、数キロ行ったところで保安官に捕まって、激怒した牧場主は私を更生施設に送りつけました」
「きみが連れだした子羊は?」
「殺されました」
「いまでも明け方に目の覚めることがある? 子羊の悲鳴を聞いて……」
「はい」
こんな具合に、おたがいの内面が溶けあったような奇妙な交流が生じていく。ときあたかも上院議員のひとり娘キャサリンがバッファロー・ビルの手に落ちて監禁され、FBIの捜査が大混乱をきたすのを尻目に、レクター博士から鍵となるヒントを得たクラリスは単身でアジトに忍び込み、暗闇のなかで彼女を愛撫するかのように迫ってきた相手に6発の銃弾を放って息の根を止める。かくして、キャサリンを絶体絶命のピンチから救いだしたのを機に、彼女はようやく子羊たちの悲鳴から解放されたことが暗示されるのだ。
確かに、かつてこの映画を観たときには、わたしもそんなふうに理解したが、いまになって素直にうなずけないものを感じてしまう。
クラリスが幼いときに出会った牧場とは、食肉加工をなりわいとする以上、子羊たちの「生と死のシステム」を支配するのは当たり前だったが、ナイーヴな感受性の持ち主はそのシステムを受け止められず、痛烈なトラウマを負ってしまうことも理解できる。そんなクラリスがこの猟奇的事件の解決を介してトラウマを乗り越えられたとしたら、キャサリンの救出よりも、もっと別のプロセスが働いた可能性があるだろう。すなわち、レクター博士とバッファロー・ビルというふたりの「殺人鬼」のはざまでもてあそばれながら、彼女も「殺人鬼」の仲間入りを果たすことだ。そうすれば、もはや「生と死のシステム」に怯える必要はなくなるだろう。実際、バッファロー・ビルの上半身に向かって銃弾を浴びせた彼女の顔は歓喜に輝いていたのだ。
わたしは想像をめぐらす。ひょっとすると、旭山動物園の飼育員にも同じことが起きたのかもしれない。もとより、動物園も「生と死のシステム」の支配のもとにあることはいうまでもなく、一般の来園者はそのオモテの「生」の面だけに接するだけだが、飼育員であればウラの「死」の面とも向きあわざるをえず、そのオモテとウラの摩擦によって生じるトラウマにさらされるうちに、かれもまた「羊たちの沈黙」を求めて「殺人鬼」と化していったのではないか、と――。
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