村山吉廣 訳編『中国笑話集』

大きくもなれば、
小さくもなる


817時限目◎本



堀間ロクなな


 村山吉廣教授はわたしの恩師のひとりだ。19世紀ロシア文学について学びたいと早稲田大学文学部に入ったのだが、たまたまその『論語』講義に出席したことから研究室へ出入りしたり、また、教授が主宰する中国古典研究会の末席に加わったりして、さらに『史記』や『唐詩』の広大無辺な世界へと導いてもらった。もしこの出会いがなかったら、ドストエフスキーやトルストイに耽溺するだけで、みずからを育んだ漢字文化圏の豊饒さに触れることなく学生時代を過ごしてしまったに違いない。



 その村山教授の指導法は独特だった。中国最古の詩集『詩経』の研究をキャリアの出発点としたからだろう、語句の細かい解釈にこだわらす、まずは大らかに声を張りあげて朗読することを基本とした。それによって『論語』における孔子の崇高にして人間くさい教えや、『史記』における司馬遷の非情なまでの歴史観をアタマだけで理解するのではなく、全身全霊で受け止めることこそ肝要と考えたからだ。



 こうした姿勢は机上の学問だけに留まらなかったようだ。ある年、村山教授は学生部長の任に就いて、授業料値上げをめぐって学生自治会と交渉する立場になった。そのころ文学部の自治会を牛耳っていたのは革マル派の連中だっただけに混乱が予測され、当日、学内放送で交渉の模様が中継されたところ、果して「バカヤロー」の怒号が連発されるありさまだった。わたしはあとで自治会の役員をつかまえて「いくらなんでも先生に向かってあんな言葉遣いはないだろう」とたしなめと、相手に「勘違いするな、バカヤローとわめいていたのは先生のほうだよ」と返された。このことを教授に伝えると、にやりと笑って「孫子の兵法を身に着けた者が革マルごときに負けるわけにはいかない」とのご託宣。実際、教授は世評の高い平凡社版『中国古典文学大系』では『孫子』を担当していたのだった。



 そんな村山教授があるとき、わたしにプレゼントしてくれたのが『中国笑話集』(1972年)だ。社会思想社が刊行した現代教養文庫の「笑話」シリーズのひとつで、教授が専門的な著作の他にこうしたジャンルも手がけているとは知らなかったが、「私の本ではいちばん売れている」との弁。明代の憑夢竜が唐宋以来の笑話を集大成した『笑府』を中心に、複数のアンソロジーから計231篇をピックアップして、だれもが気軽に楽しむことを目的とした内容だった。



 わたしはありがたく頂戴したものの、ひととおり目を通しただけで実家に持ち帰って放っておいたのだが、しばらくして、いまは亡きオフクロがけたたましい笑い声をあげた。なにごとかと思ったら、くだんの『中国笑話集』を手にして腹を抱えているのだった。その開かれたページにのっていた「薬代」と題するエピソードを以下に引用しよう。



 赤眼にかかった男、いろいろ手を尽したがよくならず弱っていると、自分の小便を塗ればよいと教えてくれた者がおり、その通りにしてみると、果して直ってしまった。

 そこで男、ある日小便をしながら自分のものに向かい、

 「お前のおかげで、わしの眼もすっかり本復した。お礼までに頭巾を作ってあげたいと思うが、お前の頭は時として大きくもなれば、小さくもなる。そこで服にしようかとも思うが、これまた、お前の丈は、短かくなったり長くなったりでな」

 と言っているところに人が来て、

 「あんた、何をブツブツ言っているの」

 と聞かれ、

 「実はほかでもない薬礼の相談中で」



 原題は「謝医」で『笑府』巻四方術部に出典するという。



 この方術部について「史書に方術伝というものがあるが、方術とは方技ともいい、方士のする術のことであり、卜筮・占験・星相・医術などを指す。主として医者や占師についての笑話」と律儀な解説がなされているけれど、それよりも硬派の村山教授がこんな砕けた訳文をつけたことのほうが興味深い。いや、それ以上にわたしにとって興味深かったのは、当時40代だったオフクロがこれほどあからさまな反応を示したことだ。おそらくは教授がモットーとしたとおり、中国の古典を全身全霊で受け止めた結果に違いない。



    

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍