フォ・ジェンチイ監督『故郷の香り』

この中国映画は
ふるさとというものへの挽歌だ


816時限目◎映画



堀間ロクなな


 ふるさととはなんだろう? フォ・ジェンチイ監督の中国映画『故郷の香り〔原題:ヌアン〕』(2003年)はそんな思いを掻き立てずにおかない。 



 はっきりと示されていないものの、ときは1980年代、ところは山間の棚田に囲まれた小さな村。この地を出て北京で役所につとめるジンハー(グオ・シャオドン)は、恩師の揉めごとを処理するため10年ぶりに故郷を訪れた。すぐ引き返すつもりでいたところ、思いがけず初恋の相手のヌアン(リー・ジア)と再会して滞在を延ばすことに。幼馴染みの彼女は歌と踊りが得意な美少女だったが、ジンハーが大学進学で村を発つ直前にアクシデントにより歩行不自由の身となり、そのうえで将来を約束して別れたにもかかわらず、いつしか心の距離も遠ざかっていって、かれは最近北京で知りあった女性と結婚したという経緯があった。一方のヌアンは村から出ることもままならず、かねて彼女に恋情を寄せていた聾唖者のヤーバ(香川照之)と所帯を持ってひとり娘を生み育て、その粗末な暮らしぶりを目の当たりにしてジンハーはうろたえるのだった……。



 「割れ鍋に綴じ蓋よ」



 そうつぶやいて、ヌアンは笑った。もとの中国語では、曲がった包丁でも瓢箪なら切れる、という慣用句らしいが、不自由な身の上同士の生活を自嘲した言葉は、ジンハーにとってもはや取り返しのつかないものの大きさを思い知らされる言葉でもあったろう。そう、ひとはだれでもひとつの人生しか選べないなかで、ふるさととは自分が選ぶことのできたもうひとつの人生を思い起こさせてくれる場所なのかもしれない。



 ここで、わたしもちょっとした記憶を書き留めておきたい。自分にとっての故郷といったら、東京・小平市の東北部、第七小学校を校区とする界隈だ。この地に物心ついてから住んで、小学校卒業のタイミングで引っ越した。もっとも、それ以降もおおむな周辺のエリアで暮らして今日に至っているのだけれど、とはいえ、とくに必要がなければ足を向けることもないわけで、わが胸のうちではずっと懐かしいふるさとでありつづけてきた次第だ。



 そんなわたしがふるさとと再会したのは、奇しくもジンハーが故郷の村を訪ねたのと同じ1980年代のこと。社会人となってしばらく経った時分で、たまたま仕事の都合で西武新宿線の小平駅を降りた際、駅前で家業の青果店を営むかつてのクラスメートと顔を合わせた。そして、かれが地元に残っている仲間に声をかけて数日後にささやかな同窓会を開いてくれたのだ。男ばかり5人が居酒屋で旧交を温めたのち、駅のロータリーに面した雑居ビル2階のスナックに場所を移して、友人が「覚えているか?」と訊いてきた。わたしはすぐにわかった、そこでホステスをしていた女性が同級生で初恋の相手なのを。もっとも、彼女のほうはこちらの顔をじっと見て、ホリ、ホリ、ホリ、とまでしか名前が出なかったから、どうやら片想いにすぎなかったようなのだけれど……。 



 「さあ、もう行って。私も戻る」



 ジンハーがそろそろ北京へ帰ることを伝えた夜、冷たい雨がそぼ降るなかで、ヌアンは傘をさしかけながら決然と言い放つ。もはや取り返しのつかない過去にこだわったところではじまらないのに、かつての恋人が後悔の念に呑み込まれそうになっているのを見て取ったからだ。おそらく、ふるさととは、自分にありえたかもしれないもうひとつの過去に出会わせてくれるのと同時に、その過去との訣別をきっぱりと突きつけてくる場所でもあるのだろう。



 わたしもあのときから40年ほどが流れ去り、ふたたび同級生たちと会うことのないままきてしまった。いまでは小平駅前の青果店はチェーンのラーメン店となり、初恋の彼女のスナックがあった雑居ビルは再開発で跡形もなくなった。かれらと残りの人生で二度とあいまみえることはないのかもしれない。だとしても、ふるさとの記憶を胸に刻んでいるわたしはまだしも恵まれた立場なのだろう。急激な人口減少の趨勢のもとで全国各地の自治体が存続を危ぶまれる一方で、個々人がスマホを所有して居場所の制約を離れいつでもどこでも交流できるという環境が現出したいま、ふるさとという概念自体、消滅していく運命にあるのではないか? 



 ジンハーとヌアンもまた、凄まじい社会変革の波に洗われる現代中国において、いつまでも初恋のほろ苦さを味わうといった贅沢などとうてい許されるはずもない。映画『故郷の香り』はふるさとというものへの挽歌なのだ。  


 

一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍