『江夏の21球』
隻手を挙ぐる時は
音もなく
821時限目◎スポーツドキュメント
堀間ロクなな
1979年(昭和54年)11月4日、広島東洋カープと近鉄バファローズのプロ野球日本シリーズの最終第7戦が行われ、古葉竹識監督率いる広島が勝利して初の日本一に輝いた。そのテレビ中継を確かに観たのに強い印象を受けなかったのは、当時、巨人ファンだったわたしは長嶋茂雄監督のもとでリーグ5位に終わったショックがまだ尾を引いていたせいだろう。ところが、である。この試合から3年以上も経ってから、ひとつのテレビ番組が思いもかけない目を開かせることになった。
NHK特集のスポーツドキュメント『江夏の21球』(1983年1月24日放送)。野村克也(当時・野球解説者)の進行のもと、前記試合の映像記録と関係者たちの証言によって9回裏の攻防を再現し、そこに秘められた奇跡のドラマが解き明かされていくという仕立てで、現在ではDVDで観ることができる。
このとき、小雨降りしきる大阪球場のマウンドに立っていたのは31歳の江夏豊だ。その左腕はプロ入りしてから公式戦だけで4万3千球を投げ、今シーズンは9勝5敗22セーブを記録して広島のリーグ優勝の立役者のひとりだった。そんなかれは広島が4対3でリードしていた7回裏から登板して近鉄打線を抑え込んだものの、9回裏になってヒットとフォアボールでノーアウト満塁のピンチを迎える。つぎの打者を空振り三振に打ち取って一死満塁となったあと、バッターボックスには石渡茂が入って初球のカーブのストライクを見逃した。ここで未曾有のドラマが起きたのだ。
近鉄のベンチの西本幸雄監督はスクイズを決断してサインを送った。マウンドの江夏は水沼四郎捕手とのあいだでふたたびカーブを選んで、このイニング19球目となる投球モーションに入った。つぎの瞬間、三塁ランナーがスタートを切り、石渡がバントの構えに入った。すると、江夏の放った球がストライクゾーンから左上方に逸れて、右打席の石渡が懸命にのばしたバットの下をかいくぐってキャッチャーミットに収まり、水沼はそのまま三塁ランナーをタッチアウトにした。かくてスクイズは失敗に終わり、江夏はついで21球目で石渡を空振り三振に仕留めて、26分49秒のドラマが完結した。
一体全体、何が起きたのだろう? 番組では当事者たちに個別にインタビュー取材したものを組み合わせて謎に迫ろうとする。こんなふうに――。
江夏「外すつもりだった。腕はもうトップのところにあったのでそこから」
石渡「外されたとは思っていない。ウエストボールといったらストレートを放ってくるもの。ふつうに投げた球がたまたまスッポ抜けたんじゃないか」
江夏「常識では考えられないよ、カーブでウエストなんて。前代未聞」
水沼「ふつうのピッチャーなら、カーブのサインであそこに外すのは無理。暴投になるか、地面に叩きつけるか」
古葉「うちは外す場合にカーブのサインのときはカーブで外すことにしている。そうでないとキャッチャーが捕球できない。そもそも途中で握りを変えるのは難しいわけで、サインどおりの握りで外すようにしていた」
江夏「そんなこと、いくら練習したってできるもんじゃない。もう一回同じことをやれといわれても自信ない。自分がやったからいうんじゃなしに、神業に近かったと思う」
いやはや、まったくもって掴みどころのない禅問答といったふうなのだ。実際、そうなのかもしれない。江戸時代中期に活躍して臨済宗中興の祖と称される白隠禅師はこんな言葉を残している。
けだし隻手の声とは如何なることぞとならば、即今両手打ち合わせて打つ時は丁々として声あり、唯だ隻手を挙ぐる時は音もなく香もなし。
世に「隻手音声(せきしゅおんじょう)」として知られる公案だ。両手を打てば音が鳴るとき、じゃあ片手の音はどう聞けばいい? といった問いかけなのだが、まさに江夏の放った球が石渡のバットとぶつかったら音を立てたところ、江夏の球が掻き消えて石渡のバットだけが宙をさまよった事態と重ねあわせられるのではないか。もとより、その鳴らないことで鳴った音を指して「無」や「空」といってもはじまらないけれど、ともあれ、われわれの常識に向かってぺろりと舌を出すような現象があのとき大阪球場のグラウンド上に出現したと受け止めればいいのだろう。
こうした禅問答めいた野球のドラマはあの時代だから生じたのであって、日本選手たちが大リーグでダイナミックな活躍を繰り広げる現代においては無縁のものに違いない。おそらく『江夏の21球』は空前にして絶後の貴重なドキュメントなのだ。
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