佐向 大 監督『中山教頭の人生テスト』

台本に自分の
役が書いてあっても


838時限目◎映画



堀間ロクなな


 昨今、小学校を舞台とした映画を観るたびに息苦しさを覚えるのはわたしだけではないだろう。それは、マスコミがしきりに報道するとおり、現在の教育現場において子どもたちの不適応や不登校が急増する一方で、教師たちの精神疾患にともなう休職・離職も相次ぐといった実情に見合ったものだとわかっていても、もっと将来に希望が持てるような描き方はないのかと思ってしまう。



 佐向大監督の『中山教頭の人生テスト』(2025年)も例外ではないのだけれど、製作者の意図とは別に、こうした八方塞がりの状況に風穴を開けるためのひとつのヒントが隠れているような気がした。そもそもこの映画は山梨県の小都市にある小学校を舞台としながら、主役は子どもたちでも若い教師でもなく、初老のウダツのあがらない教頭先生というのが珍しい。



 その中山教頭(渋川清彦)は毎朝、自転車でいち早く学校にやってくると、花壇のプランターに水をやり、やがて登校してくる生徒たちと挨拶を交わし、ひとりが転んで足にケガをしたら保健室に連れていき、とりとめのない職員会議やPTA会議の司会役をつとめ、近所の高齢者が「子どもの声がうるさい」と苦情の電話をかけてくるのに受け答えし、教室の蛍光灯が切れたときには脚立にのぼって取り換えて……といった仕事をこなしたあと、夜遅く帰宅してからは校長試験のための問題集を開く毎日を送っていた。そのさなか、5年1組の担任の女性教師が父兄のバーベキュー大会に参加してトラブルを起こし、代わりの担任となった男性教師は高圧的な指導にクレームがつくなりさっさと出勤をやめてしまい、やむなく中山教頭が臨時の担任として久しぶりに教壇に立つことに。



 この学校ではまったくいじめの事案がないことを標榜していたが、実際には5年1組でも可愛くて頭のいい愛理沙(太田結乃)がボスとして君臨し、母子家庭のどんくさい女子や成績優秀で人気のある男子を標的に陰湿な工作をしていた。しかし、生徒のだれもがこうした事態を自然に受け止めて、学校や親にバレるのを防ごうと被害者側も協力してごまかしあううち、いつしか愛理沙も自分の権力の所在がわからなくなる。それは生徒だけでなく中山教頭以下の教師たちも同じで、不安なかれらを取り巻いてこちらもウロウロするばかりだったところ、突然、学校運営に辣腕をふるってきた鷹森校長(石田えり)に公金横領の疑いが浮上して……。



 ここに描きだされているものは一体、なんだろう? わたしは、小学校という舞台で行われるドラマにあたって、台本には登場人物と役が書いてあるにもかかわらず、その役の内実についてはひどく曖昧なのだと思う。つまり、生徒も教師も、それぞれ自分が生徒の役であり教師の役であることはわかっているのに、じゃあ、その生徒の役の内実は何か、教師の役の内実は何かと問われたらわからないまま、どんどんドラマが進んでしまう(保護者だけは役と内実が一致して見えるのがむしろ可笑しい)。おそらく、日本の教育現場で起きていることもこうした事態なのではないか?



 そこで、映画ではこんなメッセージが提示される。母子家庭の女子が万引きをして出席停止となり、中山教頭が自宅へ出向いて行ったときに、彼女が自分も将来先生になりたいと告げると、「あのね、ここだけの話なんだけどね、先生や大人がこうしなさいということは全部間違っている。きみがこうしたいということがすべて正しいんだよ」と応じたのだ。すなわち、ドラマの台本にそれぞれの役は書いてあっても内実がともなわない以上、いっそ役を演じるのをやめてしまえばいいという行き方だ。マスコミ報道によると、教育現場で不適応や不登校になった子どもに対して、実際にこうした考え方が用いられているらしい。もちろん、それはそれで一理あるにせよ、じゃあ、その子どもが今後の人生でずっと役から離れて自分の思うままに過ごしていけるかといったら、とうていありえまい。



 そこで、作中ではほんのジョークの扱いながら、中山教頭がわれわれに示してくれたもうひとつのヒントにわたしは着目したい。



 カンニング。



 なんと、校長試験の会場で筆記テストに行き詰まったあげく、あらかじめ手帳に書き留めておいたアンチョコを盗み見るのである。教育者としてあるまじき行為に違いない、従来の常識では。しかし、小学校を舞台とするドラマの台本の役と内実の対応が曖昧となってしまったいま、生徒も教師もそうやって自分の役の内実をいちいち確かめることで八方塞がりの状況を打開できるのであれば、それも許されるのではないだろうか? とりわけ、今日ではAI(人工知能)によって、だれしもスマホひとつで容易にカンニングできる環境にあるのだから。さらにつけ加えるなら、一般世間ではとっくにそれが当たり前の現実となっているのだから――。 



  

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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍