平成時代、私は時間のカタチを覚えた
平成の終わりに、平成を懐かしく回想したい。平成12年(2000年)、私は留学するために日本に上陸した。最初から「平成不況」という言葉をよく聞いていた。「不況」だと言われても、私の目から見たら、日本中どこでも新鮮さが溢れていた。中国から日本へ、暮らす空間が大きく変わった。心の中で最も変化を感じたのは「時間の感覚」である。
日常生活の中、「時間のカタチ」がはっきり見えるようになった。つまり、日本と中国、時間の感じ方が違う。
いつでも、どこに行っても、時間を気にする。電車の時間・授業の時間・約束の時間…日常の中、はっきり時間概念が体の中に染み込まれてきた。時間をきちんと手帳の中に「収納」している。かつてサラリーマンの親戚がある仕事習慣を教えてくれた。「遅刻するのはいけないので、取引先企業を訪問する際に、いつも予定の時間の10分前に到着、その会社の外で待って、ちょうど時間になったら、入る」ということであった。
因みに、中国の連続ドラマは毎日放送、日本の連続ドラマは週に一回放送される。長い間日本ドラマに熱中していた私が、一週間の間、いつもドラマの内容を味わっている。あっという間に、ドラマのつづきが見られる。そして、日本での時間の流れが中国より速いと感じる。
十数年経っても記憶が褪せない。夜10時20分、私にはこの時刻は独特な意味を持つ。留学生時代、かつてパンの工場でアルバイトをしていた。夜10時20分、バイトが終わる時間であった。何故中途半端な20分かというと、バイト先から駅までちょっと遠いので、バスを利用する。夜最終の10時40分のバスに乗るため、私たち学生バイトは10時20分に仕事を終わらせる。今思うと、バイト先はとても自由な雰囲気があったようで、よくアルバイトたちの都合に合わせてくれた。
パン工場の中、どこの壁にも時計がかけられている。人々がいつも時間を意識する。毎日定時に粉を丸め、定時にパンを焼き、定時にパンを包装する。パンも遅刻しない。そして、時間通りのパンの生産が順調に進む。
さらに、日本で初めてしたアルバイトで「時給」という概念に馴染んだ。「時間はお金」であることを切実に悟った。
日本で感じる時間概念には立体感がある。時間が心の空間を作り上げる。毎日、同じ時間に出かける。同じ時間に同じ人達に会い、同じ事をする。同じ時間に絶えず繰り返し現れる人と事が記憶の奥に刻まれる。私は「10時20分」という時刻を思えば、そのアルバイト先に関するあらゆる記憶がよみがえるわけである。
子供の時に観た「三人家族」という日本のドラマを今でも覚えている。名優の竹脇無我と栗原小巻が演ずる二人の男女は毎日同じ時間に電車で遭遇し、そして、恋の物語が始まった。日本に来てから分かったことだが、時間に正確すぎる日本の電車のおかげで、電車恋愛のドラマが生まれるわけである。
時間をちゃんと掌握し、すべてを予定通り行う。生きることに関して、自ら手配できるではないか。時間を上手く区切り、人が自分のいのちを運営する。日本人の長生きの秘訣について、いろいろ言われるが、生活リズムを整えて、時間をしっかり管理できることも長生きの秘訣の一つではないかと私は自分なりに推測している。
20年近く日本と中国の間を行き来してきた。いつも日本と中国で感じられた時間感覚を心の中で吟味する。近年、中国人の歩くスピードが段々速くなってきた。「瞎忙」(やたらに忙しくする)という言葉が流行し、「時間はどこへ行ってしまったのか」(时间到哪儿去了)という歌がヒット曲になった。この曲が大勢の人達の共鳴を得たことから、中国人の時間管理があまりにずさんすぎると分かった。日常生活でも仕事でも、融通性とランダム性が強いが、混乱も生じやすい。時間の扱い方がわかれているので、日本人と中国人の行動パターンが違うわけである。
まもなく令和時代がやってくる。和暦・元号がある日本は、ある意味でほかの西暦だけ使われる国と違って、二つの時間軸を重ねて、歴史を作る。
「今を生きる」という言葉が大好きである。一分一秒を実感して、新時代を生きよう。
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