マーラー作曲『交響曲第3番』
終わらないでほしい……
ほんの束の間の安寧であればこそ
71時限目◎音楽
堀間ロクなな
このまま、いつまでも終わらないでほしい……。グスタフ・マーラーの『交響曲第3番』を聴くたびに、そんな思いが込み上げてくる。ハイドンやモーツァルトが確立し、ベートーヴェンがクラシック音楽の王座へと高めた交響曲というジャンルにあって、マーラーは第1番から未完の第10番までと、番号なしの『大地の歌』の計11曲の作品を残した。このうち、わたしが偏愛する『交響曲第3番』は演奏時間が約100分におよび、かつて「世界最長の交響曲」としてギネスブックに記載されたこともある。
曲は全6楽章からなり、マーラーは当初、各楽章にこんな標題を想定していた。第1楽章「パンがめざめる。夏が進みくる」、第2楽章「牧場で花が私に語ること」、第3楽章「森の獣たちが私に語ること」、第4楽章「夜が私に語ること。あるいは人が私に語ること」、ここではニーチェの著作『ツァラトゥストラはこう語った』から引用した詩がアルト独唱によってうたわれる。
悩みは滅びよと語る!
すべての快楽は永遠を、
深い深い永遠を欲する。(門馬直美訳)
第5楽章「朝の鐘が私に告げること。あるいは天使が私に語ること」、第6楽章「愛が私に語ること」。さらには第7楽章「子どもが私に語ること」も計画されていたが、いかにも長大に過ぎると考えたのか、つぎの『交響曲第4番』に転用された。
こうしてまとめると、しっかりとした構想にもとづく大曲のように思われるが、実際の演奏に接すると、行進曲あり、牧歌あり、難解な哲学あり、児童合唱ありと、インスピレーションの赴くまま野放図に膨張していった印象が強い。マーラーは1895年から作曲に取りかかり、翌年いったん完成したのちも手を加えて、1902年6月にみずからの指揮で全曲初演を行った。この間、歌劇場の楽長の仕事が多忙をきわめる一方で、兄がピストル自殺をしたり、ユダヤ教からローマ・カトリックへ改宗したり、画家の娘で18歳年下のアルマと結婚したり……と疾風怒濤の日々を過ごしている。
新妻のアルマはその手記で、初演のコンサートを振り返って、第1楽章が終わったところで割れるような拍手が起こり、さらに楽章を追うごとに興奮が高まって、全員が熱狂して椅子から立ち上がったと報告したあとで、こう綴った。
「私はひとりでそっと泣き、そっと笑った。突然私は私の最初の子供がお腹で動くのを感じた。この作品を聴いたことは、最終的にマーラーの偉大さを私に教えた。その夜、私は私の愛と情熱を彼に捧げ、喜びの涙を流した」(石井宏訳)
しかし、夫の偉大さを知ったはずのアルマは数年後、建築家グロピウスとの不倫に走り、マーラーはその煩悶からフロイトの精神療法を受けたりしたものの、結局死期が早まることになる――。
人生は先の見えない闇だ。だからこそ、そこにふと差し込む木漏れ日のかけがえのなさを、わたしはこの異形の巨大交響曲の終楽章に見る。〈ゆるやかに、平静に、感情を込めて〉と指定された、いつ果てるとも知れない旋律のたゆたい。このまま終わらないでほしい、と願いたくなるのは、その安寧がほんの束の間のものでしかないことを知っているからだ。
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