選任手続き

    天野 歩実
  まずは被害者Aさんのご冥福と、ご遺族の皆様に少しでも心安らかな日々が訪れますようお祈り申し上げます。
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  みんな元気にしているらしい。
桜の蕾が膨らむ頃、ある女性からLINEのトークルームにメッセージが書き込まれた。
メンバー全員がコメントを残すところが、律儀だと思う。
そういう人ばかりが集まっていたからこそ、あの日々を乗り切れたとも言える。再会を待ち望む自分に、意外さを覚えた。
ここ数年は人間不信となりかけていたが、カタルシスを得たのが裁判を通してだった、というのが皮肉だ。
あらゆる疑念や憎悪、嘘といったものが、白日のもとにさらされるというのに。
件の近況報告は、昨年末に裁判員としてチームを組んだメンバーと交わしたものだ。
期間は約3週間。
19年3月現在の最長記録は207日間、平均は10.6日。ボリュームゾーンは4日から7日程度のようだ。
これらのことから考えると、日数自体が議論を呼ぶほどではないにしろ、かなり長かった方だと言える。
家族であったり、同じ部署の上司や同僚であったりという近しい人からは心配された。
無理もない。
裁判員裁判が適用となるのは、深刻な事案ばかりだ。人によっては、務めを果たした後も精神的苦痛が消えないと聞く。
それでも、不思議と不安は無かった。
11月の下旬、私は候補者として地裁へ向かった。
  当日は一体何があったのか、一般来場者用の出入り口は長蛇の列ができていた。
10分ほど並び、荷物チェックを受けた後に別室で抽選が行われた。
十数分後に自らの通し番号が掲示された瞬間、私は確かに誰かの声を聞いた。
「生の重さを感じろ。そしてお前の答えを見せろ」
何とも小説がかった話だ、と思う。
しかしはっきりと使命感らしきものが芽生えるのを感じた。
  事件の概要は、抽選当日に知らされる。
書面で一人一人に渡されるそれに目を通し、質問事項があれば手を挙げて裁判官と面接、その後に抽選の作業が行われる。
被害者の名を見て、私はピンと来た。
随分と前の事件だ。盛んに報道されていたが、聞いていて不自然な印象を抱いたことを記憶している。
自粛せざるを得ないこと、或いは捜査関係者が手を尽くしても判明させられないことが多くあるのではないか...
いつしか耳にすることはなくなったが、自らに託される日が来ようとは。
読んだ時点では、まだ決まっていた訳ではない。
しかしながら、選出されるだろうとほぼ確信していた。
年末である上、期間も長い。しかも公判開始まで日が迫っている。
加えて、選出予定の人数に対して抽選会場にいる人数が少なすぎる。
おそらく、これまでにも抽選は行われたものの、決まらなかったのだろう。
今回も郵送で出頭の指示が出されたものの、会場に行くまでもなく辞退した人が多かったのではないか。
年末に3週間、簡単に引き受けられるものではない。
仕事も多忙な上、子育て中であったらどうするのか。
自分が抽選会場にいるのは、健康であり、心配ごとを抱えた家族もおらず、何より...恵まれた職場にいるからだ。不満は多々あったが、この時点で認めざるを得なかった。
  私の勤め先では、裁判員に選出された場合の特別有給休暇規程がきちんと整備されていた。
それでも3週間ではグダグダ文句が出るかと思ったが、人事部門の担当者はとても親切だった。
部署の上司や同僚も、「心配だ」とは口にしたものの、席を空ける可能性を咎められたことは一度もない。
自分の不満がどこから出てきたのか、いずれ考えてみなければなるまい。
  私が指名されたのは、「補充」すなわち控えの要員としてだ。
それでもベンチ入りした野球選手と同様、毎日出頭しなければいけない。
選出された後、諸手続きを経て、会社に電話を入れた。
「...すいません。当たりました」
「おお、当たったか。宝くじなら幾らぐらいになるかな」
同じ疑問を抱く人は多いらしく、若い裁判官が教えてくれた。
「10万円が当たる確率と同程度です」
裁判官は3人いたが、どの人も皆穏和で朗らかだった。
法を学んだ人の中でも特に優秀でなければ、裁判官にはなれない。これはよく知られた話だ。
だからもっとお堅く近寄り辛い存在だと考えていたが、意外にユーモアがあるのだと驚いた。
どちらかと言えば、検察官の方が怖かったかも知れない。
やはり3人いたが、その中に私と同年代であろう、目付きの鋭い男性がいた。
じっと窓の外を見据える彼に、仕事への思いを訊いてみたいと思った。



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とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍