一万円札と私の歓び


澤田結実子
  一万円札を手にしても緊張しなくなったのは、いつからだろうか。
二十代の後半ぐらいかも知れない。
結婚式に招かれることが増え、その都度新札を準備した。
向きを揃え、金額に間違いがないかを念入りに確認する...その一連の動きを定期的に繰り返すうち、いつの間にか見慣れていた。
そんな感じで、ごく淡々とした流れだったような気がする。

  では、一万円札を初めて見たのはいつだっただろうか。
小学校五年生あたりのような気がする。
祖父母と両親からのお年玉が、それぞれ一万円ずつ貰えるようになった。
千円札ならば、塾の月謝袋に入っていたり母と買い物に行った先で取り出されたりして、よく見かけていた。五千円札も、千円札ほどではないにしろまあまあ見ていた。
しかしながら、一万円札は滅多に会計で出されることがなかった。
もしかすると、両親はあえて目に触れさせないようにしていたのかも知れない。
子どもが、そのお札を気軽なものだと思い込んでは困る...と。

  千円札や、稀に見かけていた五千円札とは艶も違うような気がする一万円札に、私の胸は高鳴った。
しかしながら、掌に乗せただけで緊張して、なかなか使い道を考えるには至らなかった。
それで良かった、と今の私は思う。
お金の存在価値について、現物を通して感じることができたのだから。

  今回このテーマを聞いて、二〇一九年六月時点の私が一万円の使い道を考えたらどうなるだろうか?と思い立った。丁度、あと数日でボーナスが出る。
宝くじを買うつもりで、一万円について少し大胆な使い方をしてみようと。
どこかへ行くか、何かを買うか。
小学生の時と同様、簡単には思いつかない。どうやら私の思考力は貧弱らしい。
「どこか良い場所はないだろうか」と友人に相談したら、「ぐぐれ」とだけ返ってきた。
なるほど、現代ならばそういう手段がある。...でも使ったら負けのような気がする。
結局私は買い物をすることにした。
ショッピングセンターへ出向き、内容を問わずピンと来たもの購入する、という挑戦をしてみた。
その結果自宅へ持ち帰ることになったのは、夏物パジャマ(3セットで税込5000円強)とLUNASOLのアイブロウパレット(5色で税込5000円弱)だった。
寝る時の服は自分しか見ないし、眉毛は濃いめのブラウンで描けば無難にまとまる。つまり、普段はあまり頓着しないところだ。
しかし、実際には、着心地の良くないものを着て眠ると目覚めも良くない。目覚めが悪ければ、仕事の能率も落ちる。
そして、眉毛は描き方次第で大きく表情が変わる。不機嫌そうにも幸せそうにもなる。
どちらも主張は弱いが、影響力は強い。
本当は、どちらもある程度手間をかけてアイテムを選び、慎重に向き合った方が良いことだ。
一万円札と似ているような気がする。
財布に入っている時間が長いが、いざという時は一際強い存在感を放つ。そしてよく見ると、他のお札よりも大きい。よく見なければ、見過ごしてしまいそうではあるが。

  三十代の私は、一万円札を見ても動悸を覚えたりはしない。しかし、一万円がもたらしてくれる価値は知っている。
劇的なものではないが、確実に日常をレベルアップさせてくれるというものだ。
今日の購入品を用いて豊かな眠りを獲得し、豊かな表情とともにこの夏を過ごしたいと思う。




一号館一○一教室

とある大学の学生記者・カメラマンOB・OGによる先駆的Webマガジン     カバー写真:石川龍