誰にも似ていない
子持ちコンブ
長男が生まれた時、両親はわたしと兄の写真アルバムを押し入れから引っ張り出してきた。赤ん坊の顔が、誰と似ているのか確認するためだ。
アルバムを眺めながら二人は、目元や口元が誰に似てるだの、生まれたての髪の量が誰と一緒だの、やいのやいのひとしきり騒いだのち、こう言いはなった。
「でも、この子はこの子の顔をしているね」
わたしは、幼い頃から「誰かに似ている」と言われるのが好きではなかった。それが芸能人でも、アニメのキャラクターでも、親でも、あまりいい気はしない。
小学生の時、クラブ活動の担当教師が兄の担任だったのだが、「お兄ちゃんにそっくりだね」と言われたために、わたしは二度とその活動には参加しなかった。
そんなわたしだが、最近は見た目も中身も家族に似ていると思うことが度々ある。
子どもを叱る時の言い回しは、残念ながら母にそっくりだ。ふとした行動が父に似ていると感じることもある。長男は年々兄の子どもの頃ととても顔つきが似てきており(次男の顔は夫の家系に近いと思う)、遺伝子を引き継ぐとはこういうことなのかと、半ば感嘆し半ば呆れている。
ちなみに、わたしはしょっちゅう見知らぬ人にも間違われる。
初めて入る店で「先日はどうも」、初対面の人から「お久しぶりです」…などなど。学生の頃は同級生からは「どこそこで見かけたのに無視された」となじられたこともあった。
もちろんそれは全てわたしではない。わたしに似た別の誰かだ。
20年後、わたしはますます父や母に似ているだろうし、見知らぬ誰かにも間違われているかもしれない。
それでも、「わたしはわたしの顔をして」生きていきたい。
「個人はみな絶滅危惧種という存在」(彫刻家・舟越 桂)なのだから。
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